ポケモンと感動と
インスタをはじめて6日になるんですが、なんと新規絵は2枚しか今のところないという…笑
そして、Twitterにのせても何の問題もないことに気付きました。分割した意味とは…?
多分その時はそれがいいかんじだ!と思ったのだと思います(ひとごと)
せっかくなのでブログでもインスタの絵をアップしてみようかとおもい、連動してみたのですが、Twitter投稿と違い枠に囲まれた引用っぽさがでるわけではなく、少々おどろいています。
これは最近はじめたポケゴのトレーナーちゃんと頑張ってくれているチェリムたん、そしてその日やっと出会い捕まえることが出来たマイナンです…!かわいいよー!
ポケゴはサービス開始時からやりたいなーと思っていたんですが、容量が結構大きかったのでスマホに入れることが出来ずがまんしていました。iPadに入れたらいいのでは!と気づいたので、いまはiPadでポケゴをしています。
ポケモンは第一世代から親しんでいるのですが、ポケゴをひらいて新しくポケモンをつかまえて図鑑に記録される…という一連の流れを見ていると、ポケモンずかんをもって旅をしているみたいでぐっとくるものがあります。みんなこんな感動を味わっていたんですね。
私の家の近くはサイホーンがよく出没するのですが、歩いていて急にサイホーンが草むらから出てきたら泡吹いてぶっ倒れてしまうな…とか思ったり…。ネコちゃんやカラスでさえも襲われると怖くてしばらく避ける人間なので、ポケモンが居たら怖くてひきこもりになる可能性もあるような…。
剣盾は今買うか悩んでいるところです。久しぶりにポケゴでポケモンに触れたのもあり、今の環境についていける気があまりしない…!
でもポケモンは本当に心が元気になるというか、永遠に「ワクワク」させてくれるものなのかもしれないなーと感じました。
最近自分が何かを好きになったり、応援したいと思ったり、感動したりするときってそこに「自分がいる」と思えることが多いのです。
ポケゴもものすごく感動したのですが、やっぱりポケモンを探して歩いているときの「ポケモンに出会ったあの頃」や「ポケモンマスターになりたいと憧れていたあの頃」とか、そういう「あの頃の自分」と現実の今がリンクしている感動でした。
私は今までこういう形で感動することがあまり多くなかったので、少し新鮮な気持ちです。
じゃあどんなものに感動してきたのかというと、「永遠を感じたもの」です。
自分の中で感動と「永遠」は直結していて、何かを素晴らしいと思い、心から熱いものが湧き上がってきたり、涙がこぼれてどうしようもなくなったりするものすべてに「信じられる永遠」を見ている…と自分では思って生きてきました。
好きなジャンルにしてもそうで、「信じられる永遠がある」と自分で思ったり、この瞬間の幸福を死ぬまで覚えていたいと思ったジャンルはずっと好きです。…なんのはなしだ!
少し前まで、私は「人はみんな永遠を求めているんじゃないか」と考えていたことがありました。
信じられる永遠を誰もが求めていて、それが伴侶だったり友人だったり理解者だったり生物だったり、人物じゃなくても書籍だったり宗教だったりすると思っていました。いましたといっても今でもそうだと思っていますが、以前は少しかたくなだったところがあったんです。
でも今は、少しだけそのかたくなさはなくなってきた気がしました。
たぶん永遠に固執していた時期だったのかなぁと思います。今は違うものにも感動するようになって、当たり前だけど人が感動するのってその人特有のメカニズムとかがあるんだなぁって。
ポケゴを通じて新しい自分の目線に気づけた気がしました。チャンチャン。