おたくで幸福を科学できるのか。

信仰とおたくを心のままに綴ります

ありがとうアニメ「BANANAFISH」…最終回後の感想

アニメBANANAFISH素晴らしかった。

最終話を見終わったその勢いで今書いています。がんばっておちついて書くけど頑張っても落ち着かないかもしれません。

まず、素晴らしい最終回でした。原作に忠実に、丁寧につくられていて、アッシュの最期はとても美しく描かれていて嬉しかったです。

ちなみに漫画読破後すぐに書いた記事はこちらです。アッシュの最期についてなど、今読み返してもこの感想から大きく変わっていません。

mochigomefs.hatenablog.com

大きく変わっていないということは、このまま勢いに任せると同じようなことを繰り返し言う可能性があるということです…。

アニメをふりかえって

シリーズ構成がよかった

最終回に限らず、全編通してずっと丁寧だったと思います。時代設定の変更によってキャラがスマホを所持していたり、ベトナム戦争イラク戦争に変わったり、BANANAFISHは“あの時代”であることに大きな意味がある作品だと発表された当時、原作を読んだことがない私でさえ思っていましたが、それらも上手に作品に落とし込んでいたと思いました。

また、原作はもっとストーリーもドラマも盛り込まれていますが、それらを丁寧に24話に削って納め、きちんと見せるべきところを見せていたと感じます。

「アッシュと英二」を主軸にストーリーを構成していたため、アッシュとブランカ、シンとラオなどについては、原作を知らない人が見たら何かあるんだろうなという含みを感じさせる程度で終わっていたような気もしますが、逆にBANANAFISHで絶対に落としたらいけない「アッシュと英二」のささやかなやりとりや心のふれあいを残してくれていたので、しっかりと最終回がまとまっていたような気がします。

アニメ雑誌のインタビューで、「ショーター以降はかなりざくざく削っています」というのを見ていたので実は少し不安だったのですが、「アッシュと英二の関係性につながるような部分はささやかなやり取りでも残している」という言葉も同時にあったので、見終わった今、構成のありがたさをひしひしと感じています。

少なくとも私個人はアニメからBANANAFISHの原作に流れた人間なので、「きっとアニメでは語られていない部分があるんだろう」と予想できたのはプラスに働きました。

素敵な声優陣

アッシュ

アッシュ役の雄馬くんは、Pなのもあり個人的に特別な思い入れがある声優さんのひとりです。

今までにないような役柄で、さらに男女問わずファンの多い作品の主人公!期待と重圧と厳しい視線がありそうな中、アニメの中で鮮やかに烈しくアッシュ・リンクスが生きていました。

漫画から受ける印象よりも少し若い感じがして、自分の頭の中で思っていたIQ200の大胆不敵なアッシュ・リンクスの「少年」という要素を、要素としてしか把握してなかったのだと気づかされました。

自分で漫画を読んでいるだけでは雄馬くんが演じるようなアッシュには出会えなかったと思います。それがとても心地よくて、うれしかったです。

英二

英二役ののじけんさんは、もうのじけんさんしかいないでしょう!というほどTHEのじけんさんのキャラでもあるので、毎回毎回安心と信頼と幸せで満たされていました。のじけんさんのお芝居が大好きなのもあり、どんな英二も好きでした。

かわいいのに狙ったようなあざとさが声音になく、素直な好青年だからこそのかわいさのように感じられました。

最終話の手紙がどんな風になるかずっと楽しみでしたが、しっとりとじっくりと心にしみこんできて…。本当にのじけんさんの英二が優しくてかわいくて大好きでした。光の庭も映像で見たいですね…。

そのほかのみなさん

全員言い出すと本当にきりがなくなってしまうのでかいつまみますが、大好きなシンを演じてくれたちばしょーが本当にシンの声で最っっ高でした!

細谷さんのオーサーもさすがで、アッシュとの一騎打ちはどこか切なささえ感じたのが印象的でした。

ショーターのまこらどん。もっとショーターが大好きになったのは言うまでもありません。基本的に原作通りのものが好きな自分としては珍しく、原作を無視してでも長生きして欲しかったくらい。

ゴルツィネの運昇さん。放送中に亡くなってしまい、これから先運昇さんのゴルツィネはどうなってしまうんだろう…とずっと不安でしたが、最後まで運昇さんで本当にうれしくて、幸せでした。パパディノのじっとりと絡みつくようなアッシュへの執着や、どうしようもない愛情がセリフのはしばしから感じられました。

ブランカ役の帝王森川さん…月龍役の福山さんもおっしゃってましたが、ブランカが森川さんって最高」です。最高でした。それしかないです…最高…。

 月龍役の福山さんは、ご自身が原作の大ファンなこともあり、インタビューの作品考察や解説でもお世話になりました。なので、インタビューやお芝居から「月龍ってこんな感じなんだ!」と思うことが多かったです。福山さんのおかげで月龍についての理解がものすごく深まった気がします。ヒステリックでもあり切なくもあり狂気でもある、とても魅力的な月龍でした。セクシー。

 

福山さんに限らず、雄馬くんやのじけんさんのインタビューもとても読みごたえがあって、すごくおもしろかったです。このお二人の言葉で気づいた大切なシーンや二人の感情もたくさんありました。

とてもじっくりと作品に寄り添って、かみ砕いて、飲み干して、練り上げてお芝居をされているのかなと感じました。雑誌とかのインタビューを追う日々もすっごく楽しかったな…。

 

アニメ「BANANAFISH」最終回を見て改めて思ったこと

最終回って、最初は英二のセリフがなんだか頭と心に残る気がします。「君はぼくの最高の友達だ」をはじめとした、英二の愛情のすべてがこもったセリフたち。シンが「まるでラブレターだ」と言ったあの手紙の強くて大きな愛に読者も包み込まれます。

でもしばらくすると、ブランカとアッシュの会話がぷかぷかと浮かんできます。

実は漫画を読んだ時から、「英二の言葉に対してアッシュの言葉は少ない気がする」と感じていました。英二は手紙にありったけの愛をこめてアッシュに贈っていますが、アッシュは直接的に英二に言葉で愛や感謝を贈ったことって少ないんじゃないか?って。

でもひとつひとつの答えがブランカとの会話のなかにあって、あとからじわっとアッシュの愛も広がってくる気がします。本当にアッシュは英二と出会って幸福だったこと。地球上の何よりも愛していること。特別な親友だということ。英二に出会えたから見えたたくさんの景色。そして、アッシュのこれらの気持ちを言葉になんてしなくても英二はすべてわかっていること。 

 

愛が人を生かす

アニメでも見終わった今、ただひたすらに思うのは、「英二と出会えてよかったね、アッシュ」という気持ちです。英二に出会わなければ、アッシュは誰かを愛したり、誰かに愛されたりすることもなかった。自分の中に愛というものの自覚がなければ愛されている事にも気づけないはずなので、きっとずーっと、愛情に気づくことがなかったと思います。

声優さんたちのインタビュー(たしか雄馬くんとのじけんさん)で、「『愛』と『生』の物語」と表現していた気がしますが、その通りだなーと改めて感じました。

「愛される」ことや「愛する」ということが、どれだけその人の心を癒し、孤独を癒し、幸福を与えてくれるものなのか。BANANAFISHは改めて「愛」の美しさについて考えさせてくれ、そして教えてくれる作品だと思います。

極端なことを言うと、本当に人は“愛があれば生きていける”んだなと思います。「愛は死なない」という言葉はよく聞きますが、「その人が死んでも愛は死なない」ということを作品をもってわかりやすく教えてくれていると思います。

アッシュを最期の瞬間まで生かし、幸福で満たしたのは間違いなく英二の「愛」で、英二がアッシュに愛をずっと注いでくれていたからアッシュの人生が大きく変化したんですよね。

素晴らしい作品には“イフ”は不要だと思いますが、仮に、もしもアッシュが英二に出会っていなかったら…そんなことを考えると、心が凍り付いたようにしゅんとなってしまいます。それは英二も同じで、アッシュに出会っていなかったら…。

この二人が見上げる空は、きっとどこまでも狭くて、切り取られたように四角くて、息が詰まるような閉塞感だろうなーって。大きくて広い空を見て、不自由さを感じる毎日を過ごしていたのだと思います。

アニメ最終話の「ライ麦畑でつかまえて」は、原作のある扉絵でアッシュが読んでいる小説でもありますが、アッシュから見た英二は“ライ麦畑のつかまえ役”なのかもしれないですね。

 

アッシュと英二は二人でひとつの人生を生きている

吉田先生ご本人が鎮魂と再生の物語と言っている「光の庭」を見るとより強く感じることですが、英二の心の真ん中にはアッシュが生きているし、アッシュは英二の胸の中に命を置いていったのだと思います。

ふたりはまったく違う人生を生きていて、まったく違う種類の閉塞感を抱いています。それでも、「英二の高跳び」のシーンでふたりは同じようにお互いを感じ合い、慰め合い、もっといったらあの瞬間で魂の触れ合いのようなものが起こったのだと思います。

アッシュからしたらあの壁の高さは「越えられないもの」で「不自由の象徴」でもあった。英二からしたら高跳びは「苦しみの象徴」でもあって「自分を縛り付けるもの」でもあった。

でもあの瞬間、空を舞う英二にアッシュは「自由」を見たし、それによって自由を感じたアッシュに英二は「満たされた」のだと思います。

ここについてはアニメイトタイムズの雄馬くん、のじけんさん、瓜生Pのインタビューがとてもわかりやすく素晴らしいので引用いたします。

瓜生:アッシュ的には第2話の高跳びのシーンで、跳んでる英二を見た瞬間が、アッシュの中で英二の存在が変わるタイミングの1つかなという印象がありました。

野島:弱そうに見えた人間が、窮地でバッと空を舞うのは印象的ですね。あんなに自由な存在だったんだって。

瓜生:病院で「お前はいいな、あんな風に跳べて。」というシーンが、「悲しいな」と思いながら見てました。

野島:あんな風に言われるまで、英二も「え、自分ってそんなに自由だったの」って気がつけなかったと、自分の存在価値に気がつくこともなかったんだろうなと思いました。

内田:あの状況で、あの塀を跳び越えちゃえるんですよね……。

野島:ニューヨークに来ている時点で、相当飛び越えてますけどね。物理的なものじゃなくて、心境的な意味で。

内田:そういえば(笑)。アッシュには、眩しく見えたんでしょうね。あの瞬間に、ただ単純なことなんですけど、その単純なことができないと思っているから、すごく眩しかっただろうなと思います。

野島:あのシーンは、すごく時間をたっぷり使ってましたよね。

瓜生:監督的にも、あそこが“アッシュの中で、英二の存在が変わる瞬間”というのは意識はされていたみたいで。あのシーンは大事にしていて、第1~2話のハイライトに近いシーンでしたね。

 このシーンにアッシュと英二の関係が凝縮されているのではないか、とこのインタビューを読んで思いました。自由のために傷つきもがき生きているアッシュから見たこの瞬間の英二って、どれだけ眩しくて憧れるものだったんだろう。逆にあんな高さなんてなんでもなく、記録が出なくて、もっと高くもっと高くともがいていた英二から見たアッシュってどんな存在だったんだろう。

きっとこの瞬間に英二はアッシュの境遇の切なさをすべて感じ取ってしまったんですね。だから涙を流したし、そういう英二だからアッシュは心を許した。

話があっちこっち行って何が何だかわからなくなっていますが、このシーンで二人の魂は言葉なんかを超越してぎゅっと近づいたんだと思うんです。

先ほどの「愛が人を生かす」にもあったように、愛に触れ、英二と“人間”として付き合うようになって、アッシュの本当の意味での人生が始まり、そのアッシュの人生をすべて胸に受け止めて英二の人生が始まっていると思います。

「光の庭」は数年後の英二とシンの生活を描いた作品ですが、アッシュと出会ったから英二はこの生き方をしています。出逢わなかったら絶対にニューヨークで永住権なんてとっていないし、そういう人生を送っているはずです。

英二はきっとアッシュと一緒に生きていくんだなとアニメの最終回を見て、また強く思いました。

谷川俊太郎先生の「あなたはそこに」という詩が、感じたことをすべて美しく表現されているので、部分引用いたします。

ほんとうに出会った者に別れはこない
あなたはまだそこにいる
目をみはり私をみつめ 繰り返し私に語りかける
あなたとの思い出が私を生かす
早すぎたあなたの死すら私を生かす
初めてあなたを見た日からこんなに時が過ぎた今も

いい詩~~…!!

引用が増えてくるということは、もう自分の言葉で語るべきことがなにもない時だと思うので(笑)、こちらの記事はこのへんで畳もうと思います。

 

さいごに、ちょこちょこBANANAFISHについて騒いでいる記事を載せてみます。笑

アッシュと英二のイメソンについて話している記事。

mochigomefs.hatenablog.com

 …これくらいしかなかった!笑

いろいろ話しているのはあるんですが、どれもあえて載せるほどずっと話しているわけではないな…と思うと…笑

また、時間と機会があったらゆっくりと一人一人のキャラクターについて振り返ったりしてみたいと思います。

 

本当に素敵なアニメに出会えてうれしかった!アニメのBANANAFISHにかかわった、全ての方に感謝したいです。とても大切な作品になりました。