おたくで幸福を科学できるのか。

信仰とおたくを心のままに綴ります

GOLDEN SMILE

俳優の滝口幸広さんの突然の訃報を受けて、いろいろなことを考えました。アップするか悩んだのですが、自分の思い出というか備忘録というか…そういうものとして、これを更新しようと思います。

 

たっきーはテニミュの青学3代目の大石秀一郎役で知りました。遙かなる時空の中で4の主題歌を担当していたほか、戦国鍋tvや戦国★男子、仮面ライダードライブをはじめとしたドラマやバラエティで活躍していました。

笑顔が素敵で、面白くて、熱いお芝居がとてもよく似合う青年という印象です。

 

私の人生において、『テニミュ』はとても特別で、大切な作品でした。特に1stシーズンは、言葉で表現することが難しいくらい。

テニミュ』を好きだったとき、夢中になって追いかけていたときにもらった楽しさや喜び、幸せ、笑顔、感動、全部がほかのなにものにも代えがたい、テニミュだけの宝物でした。どんなことがあっても、『テニミュ』は特別で、『テニスの王子様』は一生大好きな作品です。

どんな場所でもテニミュキャストが出ていると「頑張ってるな」と嬉しくなったし、絶対に応援するし、仲良くしているのを見ると嬉しいし、違う場所で同じ舞台に立っていると笑顔になります。

「人生における最愛のイメージ」というものがあるとすれば、その一つは確実に『テニミュ』です。思い出すだけで笑顔になれるイメージの一つにもテニミュは存在します。筆舌に尽くしがたい、心を満たす幸福な時間を与えてもらっていたのだと改めて実感しました。

 

今回たっきーの訃報を受けて、人の使命や生死について考えました。

私はたっきーのことを個人的に、格別に応援していたわけではないのですが、テニミュキャストとして強めの愛着は持っていて、気になる舞台にたっきーがいたら「たっきーいるんだ!じゃあ行ってみようかな」と足を運んだこともあります。

ファンと声を大きくして言うことはできませんが、大好きで愛しい俳優さんの一人です。

たっきーの訃報を受けたときの、喪失感というか、呆然とした感じというか、ああいうものはどこから来ているのだろうと考えた結果、自分の場合は「テニミュが楽しかった」というところから来た気がしました。

私は年齢的に言うと、ニコニコ黎明期の空耳テニミュが学生の頃に流行ったくらいの年代です。テニミュの1stも全国大会に向けて盛り上がっていって、元気とやる気と強気に満ち溢れた学生時代の中で、「楽しさ」や「愛しさ」の象徴がテニミュだったので、よりエネルギッシュな思い出として残っているのかもしれません。

 

今回友人とやり取りをしたり、Twitterでの俳優仲間やファンのみんなの哀悼を見ていて、「人に愛される素晴らしい人だったんだなあ」ということをひしひしと感じました。

そして、その時にその人がなくなったら、その人の心そのものが世界に満ちるんだと感じたんです。

ちょっと意味不明な文章になってしまっているんですが、たっきーが今まで多くの人を幸せにしてきたんだなとか、こんなに愛される素晴らしい人だったんだなとか、みんなの心に思い浮かぶのは、きっとあの笑顔満面のたっきーなんだろうなとか。そういうものがぶわーっと心に広がってくる感覚がありました。

その時の、自分の切ない気持ちとかとは別の、あたたかくて、優しくて、癒されるような感覚というか…そういうものが、たっきーという存在そのものなのかなと思ったんです。少なくとも、私がイメージした滝口幸広という人は、そういう人だったんじゃないかなということを、心で感じました。

 

それとは別にすごいと思ったのは、みんな訃報を聞いた夕方には前向きな言葉を積極的に出していたことです。

もちろんその胸中には複雑なものがあるだろうし、そうでも思わなければ耐えられないといった気持ちもあると思います。

それでも、王子がみんなのコメントを届けるという計らいをしてくれたおかげで、本人やご家族が見て、嬉しいと思う文章を書こうと意識したと思うんです。そして、意識して文字にすると、それが自分の中の嘘のない本当の気持ちでもあることがわかる。自分の中に前向きな、幸福を願う気持ちがあることも見える。

今回私も王子のお言葉に甘えてコメントを寄せましたが、コメントを書きながら、たっきーへの「ありがとう」があふれてきました。こういう機会が与えられなければ、もしかしたらもっと長いことぐずぐず悲しんでいたかもしれないと思います。

自分一人だけだったり、友達と慰め合うような会話だけでは、なかなか前を向くことって難しいなと感じました。

私も友人もタッキーとすごく年齢が離れているわけでもないし、あまりにも若すぎるし、急すぎる出来事で、「処理できない」感情のダメージが大きかったです。
おそらく同じようにテニミュ1stで青春を送っていた人たちみんな、全く同じではないにしろ、似たような喪失感を持っていると思います。

そうなると、寂しさとか、言葉に出来ない感情を「わかりあえちゃう」からそこにずっといられちゃうなぁと思いました。

 

でも、王子のツイートに寄せたみなさんのコメントには、「天国で」とか「生まれ変わっても」とか、そういう言葉が目立っていた気がしました。

死後の世界を信じているいないにかかわらず、その人の幸福を祈るときの素直な心の向きというか、やっぱり天国があって、そこで幸せに微笑んでいるという幸福を祈りたい。自然とそういうものが出てくるのが不思議でしたし、素直にそういう気持ちを持てる心も素敵だと思ったし、そう祈りたくなる素晴らしい人だったということも胸を温かくしました。

 

私たちはどうしても自分に関係ある人の死を前にしないと、死について明確に意識をしないと思います。

もちろんそうでない方もいると思いますが、死が具体性を持って、目の前に迫ってくるのは、多くの人にとってそういう時だと思うのです。

 

私は宗教上死後の世界についてや、人間の生命の使命、転生について学んでいますが、それでも人の死というものは悲しいし、切ないし、やるせないものがあります。
今回の訃報をきいて、特に強く思いました。

宗教的に言えば、神から命を与えられて、一日を与えられて、生かされているのが人生です。しかし、そう言ってしまえば「生かされなかったってこと?」ってなってしまう。そういうわけではないけれど、伝わるように言葉を紡げる自信がまだ自分にはありません。

 

ただ、何よりも大切なことは「言葉だけの『ご冥福』をしないこと」だと思います。

故人の信仰の関係等で、全ての人に「ご冥福をお祈りします」という言葉が使えるわけではありませんが、やはり「冥福」の気持ちを嘘でなく持つことが、最大限の供養であり、祈りのかたちだと今回実感しました。

正しく導かれるように。死後の魂にも幸いがあるように。そして、光にみちた世界で、より多くの人を笑顔にし、幸せにできるようにとお祈りをする気持ちを持ちながら口にしたいと思います。

 

思い出せば思い出すほど、たっきーのいた青学3代目が大好きで、楽しかった記憶が鮮やかによみがえります。
私の中で、きっといつまでもたっきーはあふれんばかりの笑顔をした青年だし、みんなを笑わせるムードメーカーだし、頼れる陽気なお兄ちゃんです。

 

テニミュは「青春体感ミュージカル」というコピーが2ndの頃につけられていましたが、それは本当に言い得て妙で、テニミュで非現実の青春を追体験することが、不思議と自分の青春になっていく感覚があります。

テニミュに限ったことではありませんが、彼らを追いかけ、涙を流し、板の上のキャストと紙の中のキャラクターがそれぞれの個性を持ったまま重なり合う瞬間を見る。
それはひとつの奇跡だし、重なる瞬間が見えたとき、永遠の思い出になると今でも思います。

そんなひとつの奇跡を体験させてくれた一人である滝口幸広さんを、役者として素晴らしいと思うし、永遠を感じるような幸福を与えてくれたことに心から感謝します。

滝口幸広さんのご冥福をお祈りいたします。