映画「心に寄り添う。」を見てきた話
映画を見てこないと更新されないのかこのブログは。
ご無沙汰しております。
先日公開された、映画「心に寄り添う。」を見てまいりましたので、軽く感想を。
(※感想は個人的なものになります。)
一言でいうと、「思ったよりも面白かったし、あっという間だった」という感じです。(面白かった、という表現は語弊を生むかもしれないですが)
はじめに
この映画は、ARI Production初制作の映画になります。
幸福の科学グループが持つ複数のNPO団体を、ARIプロ所属女優の希島凛ちゃんを中心に、HSUの現役学生さんたちが取材するドキュメンタリーになっています。
不登校では不登校支援スクール「ネバー・マインド」や「いじめから子供を守ろうネットワーク」、障害児支援「ユー・アー・エンゼル!」、自殺では「自殺を減らそう」キャンペーンにそれぞれ取材をしています。
ドキュメンタリーとして
学生取材班について
取材をする彼らはとても若く、何よりも学生さんなので、良くも悪くも粗削りで、突っ込みたくなるところもたくさんありました。
しかしその分彼らはひたむきで、一生懸命で、体当たりでした。
手探りで距離をはかりながら取材をしていくようすはとても純粋で、透明感を覚えました。
最初は彼らのきゃぴきゃぴした空気や言葉遣いに、「分かってんのかな。」とか思いながら見てしまっていたのですが、彼らがとても真剣に向き合っていること、彼らが今持っている最大限の敬意を払って取材に挑んでいることがじわじわと伝わってきます。
一つの取材が終わるごとに「どう向き合っていきたいか」「どうしたらいいのか」「何を感じたか」の意見交換が行われており、着地することもあれば突っ走ったまま戻ってこないこともあり…そういった部分も含めて、等身大で嘘のない“学生取材班の成長物語”としての見方もでき、面白かったです。
ディスカッションが入ることによって、映画として「面白く」仕上がっているなぁと思いました。
飽きることなく見ることが出来ましたし、どんなことを感じたのかな?と彼らの意見を聞くのが楽しみでした。
また、とある事件が起こった時に、カメラを撮っていた女の子が言う「自分たちが何を撮ればいいのかがわかった」といったような言葉がとても響きました。
この言葉で、私たちが“なにを見たらいいのか”もわかった気がします。
不登校や障害、自殺やいじめなどの取材について
不登校の友人に、なんて声をかけたらいいんだろう。
鬱で悩んでいる人に、どういう立ち位置でいたらいいんだろう。
ハンディを持っている人に対して、どうするのが正解なんだろう。
生きてきて、何度も何度もぶつかり、そのたびに浮かぶ疑問でした。この映画にその答えがあるのかと言われると、人によってはあるかもしれないし、ないかもしれないです。
人によっては見つけられるかもしれないし、ヒントをつかめるかもしれないし、何もわからない場合もあるかなぁと思います。人によって答えが違うものだからです。
私の場合は、「状況が違うだけで、その人がその人であることには変わらない」というシンプルな事実に気づけました。
普遍的な疑問なので、年齢や経験によって、また違う見え方、また違う発見があると思います。何度も見るうちに見えてくるものもたくさんあるだろうと感じました。
「生きる」という自分と他人のシンプルな生について、じっくり考えたくなる小説を手渡されたような気持ちです。
一点、いじまもの井澤さんにお話を伺った後、「ききたいことがきけなかった」という一文が映画にもありましたが、確かにいじめのところなどは掘り下げてほしいなぁと思いました。
不登校・障害・自殺などと向き合い克服してきた人、そして今まさに向き合っているみなさんのナマの言葉が印象的ですが、学生取材班がやや強い面があるため、もう少し彼らだけの言葉で聞きたいと感じるところも少しありました。
『救い』とは何か──
公式サイトでも、映画本編でもしきりに出てくる言葉です。
おそらく学生取材班のテーマであり、この映画で投げかけるテーマなのかなと思いますが、この『救い』って何だろう。見終わった後に、そんなことを考えました。
すっかり陽が落ちた渋谷の街を歩きながら、映画で何度も出てきた『救い』について考えました。
やはり、「神様が愛してくれているということ」が救いなのかな。と思いました。
HSUの学生さんへのインタビューのとき、取材を受けている彼女が「どうして私だけなんだろうって、神様を恨むこともありました」と言っていたことがとても印象的でした。
それまでこの映画のインタビューでは、ご家族も、周りの方も、みんな美しいことを言っていました。そしてそれは決して嘘ではなく、信仰によって「肉体」と「魂」の神秘について学び、ハンディのある方々と家族として一緒に生きてきた上で得た「悟り」だと思うのです。
凛ちゃんが、ユー・アー・エンゼルの諏訪さんに「もう一度お話したい」と持ちかけた二度目の対談の時、諏訪さんは「ガラス戸の向こう側とこっち側」というようなことを仰っていました。
それを受けて、凛ちゃんは「私もガラスの外に行きたい」と。
私は、家族でもないのにそれができるって、もう職業にすべき人たちではないだろうか。と思ってしまいました。完全なる善意で、100%の親愛で、私はできるだろうか。できないだろうな。ガラスの向こうにはたぶん私は行けないだろう。そしてこれが私の課題だなぁと思いました。
それとは別に、映画を見ていて学生取材班のみんながしきりに言う「救い」が、何を意味しているのか正直ずっとわかりませんでした。
彼らの漠然とした「救い」がどうしても偽善と傲慢に見えてしまう瞬間もあったし、彼らがこの「『救い』とは何か」という問いにどんな答えを見つけたのかも、個人的にはよくわかりませんでした。もう一回見たら分かるのかな…。
彼らのドキュメンタリでもあると思うので、ここだけはハッキリとわかるといいのになぁと思います。
せめて最後に取材を終えた彼らの総括として、彼らが見つけた「『救い』とは何か」を見たかったです。
おわりに
“魂は健全”という当会の教えのとおり、たとえハンディがあってもその人には心があり、個性があり、感情があります。喜びもあれば悲しみもあるし、孤独もあれば憂いもある。
それは特別なことではなく、普段生活していても、相手の感情をはかることができず深く傷つけてしまうことはたくさんあります。意思疎通が“まだ自分相手では”上手にできないだけで、ご家族や信頼できる人と一緒にいるとき、ハンディのあるみなさんの表情も感情もとても豊かに見えました。
お互いをいつくしみあう空気が目に見えて感じられます。
この映画を見て、私個人は「ハンディのある方々も私たちと何も変わらない」と思えました。やっぱり魂は同じなんだなと、はじめてきちんと腑に落ちた気がしました。
知り合いにそういった方々がいても踏み込んで聞けない疑問でもあるので、人それぞれではあれど「どう感じ、どのように生活し、どのように受け止めているのか」が、見られたのがとても大きかったです。
なかなか信仰を持っていて、そしてハンディに向き合っている人々のドキュメンタリというものは地上波などでは見られないので、とても興味深かったです。
たいていは福祉の問題点や苦しみ・辛さなどに焦点を当てるので、なにはともあれ「いきいきと」生活をしているみなさんを見られるのはこの映画だけだと思います。
もちろんここで語っている以外につらく大変なことはたくさんあるでしょうし、様々なことを乗り越えてこられたと思うのですが、不幸を語るのではなく幸福を語るということが、見る側にも大きな変化をもたらすきっかけになる気がします。
最後に、私の大好きな書籍『じょうずな個性の伸ばし方』から、障害について大川総裁が言及されている箇所を抜粋したいと思います。
また、病気にかかっていたり、何らかの障害を持っていたりしても、魂としては完全です。完全な魂を持っています。
障害などを持っていたりすると、試練として、何十年かのあいだ、苦しみがあるかもしれませんし、家族にも迷惑がかかるかもしれません。しかし、あの世へ還ったら、完全な姿に戻ります。
そういう重荷を背負って生きることは、何らかの魂修行に必ずなっているので、障害などをあまり深く考えすぎてはいけません。「魂的に劣っている」という考え方をとるべきではないのです。
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