おたくで幸福を科学できるのか。

信仰とおたくを心のままに綴ります

[ユートピア文学賞2018 入賞作品集]扉絵イラスト

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モデルはニュースター・プロダクションの松田わかなちゃん

でんっ。

幸福の科学出版が開催している「ユートピア文学賞」に入賞作品集があることをご存知でしょうか。そもそも文学賞自体ご存知ない方が多いかもしれませんが、なんと、幸福の科学出版は文学賞をやっております。

募集ジャンルは小説、児童書、詩、絵本などさまざまですので、ピンときた方はぜひ、募集要項に目を通してみてくださいね。2019の締め切りは2019年8月31日ともうあまり時間がないのですが、ハッピーになれる、心温まるお話を募集しているようです。

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さて、そんなわけで、2018年度の受賞作品集にて、イラストを描かせていただきました!こちらの冊子は全国の支部・精舎にて頒布しております。幸福の科学出版HPでは通販も可能です。

イラストを描くにあたり、作品を読ませていただきましたが、どれもとても面白かったです。個人的な感想をすこしばかり…。概要はこちらからコピペいたしました。

 

景山民夫賞受賞 小説「エレベーター・エンジェルズ」

【 概要 】亡くなった人に会わせてくれるという東雲相談所。そこには、それぞれに案内係が乗ったエレベーターが四基あった。母を亡くした喫茶店アルバイトの風花、妹を亡くした小学生の怜、先輩を亡くした服飾デザイナーの奏江、そして父親を亡くした遊び人の則男。事情を抱えた四人がエレベーターに乗って、行きついた先は「あの世」だった。

面白かったです!

4つのエレベーターとそれぞれ4人の主人公のオムニバス形式の話になっていて、ひとつひとつが長すぎずとても読みやすかったです。少しだけ登場人物同士がリンクするところもあり、オムニバスならではのニヤリとする展開もありました。

エレベーターごとに特徴があり、また個性的な添乗員(天使)が乗っていて、それぞれのキャラクターが立っていたため飽きることなく読めました。

死んだ人に会えるなら会ってみたい…けれど、うさんくさくて怖い。という逡巡も丁寧に描かれていて、「あの世ってどういうところ?」「死んだらどうなってしまうの?」「死んだ人はどんな気持ちでいるの?」などがわかりやすく感動的に描かれています。

特に亡くなった母親のポルターガイスト現象的なものに悩んでいる女性のお話は、どんな執着が母にあったのか、母と自分のあいだにどんな問題があったのか、限られた母との対話のなかで自分はどうしたらいいのか…など、身につまされる思いでした。

扉絵は物語のキーとなる東雲相談所の扉を開くアンティークの鍵と、それぞれのエレベーターの添乗員である天使たちのシルエットを描きました。キャラクター描写がすばらしかったので、作品のキャラクターとけんかしないように、また、読む人の想像をいい意味で助けるような天使たちを描けるように…と努力しました…したんです!笑

ぜひ、本編を読んでみて、そして扉絵も見て、味わってみてください。

私の推しキャラは4つめのお話に登場する闇雲さんです。

 

 

入選 児童書「ドラゴンとサリー」

【 概要 】リンドン村に住む少女サリーは、九歳の誕生日に洞窟で大きな卵を見つける。卵からかえったのは、不思議な力を持つドラゴンだった。人知れずドラゴンを育てていたサリーだが、ある出来事をきっかけに自分の出生の秘密を知り、ドラゴンと親友のトムとともに旅に出る。運命に導かれ、サリーは次第に自分の使命に目覚めていく。

賢くてやさしく、勇敢なサリーのファンタジー冒険譚です。

ボリュームがあり、とても読みごたえがありました!割と文章が淡々として、さくさく物語が進んでいくので、あっさりと読めます。

ネタバレになってしまうので先の展開は伏せますが、子供に安心して読んでもらえるし、親御さんも一緒になって読んでみたらたくさんの発見がある作品でもあるのではないかと思います。

作品を通して、心優しい人々がとても多く、そして登場人物のみなさんがとても素直で、見習いたい気持ちでいっぱいになりました。素直で心優しく、そして勇敢であるということは、たくさんのよいものを生み出していくし、また、人に与えていく事も出来るのだと思えます。 

イラストは大人になったサリーとドラゴンのひとときです。旅立つ前の、まだ自分の運命を知らない村娘のサリーと、サリーの運命を知っているからこそ、優しい時間を共有するドラゴンをイメージして描きました。

イラストはモノクロのスケッチ調だったので、なるべく木漏れ日などで明るい光を演出して、穏やかな時間を表現できたらなぁと…思いました!あまり進んだ時期を描いてしまうと物語のネタバレにもなってしまうので、ぜひぜひ読んでみて、サリーとドラゴンの冒険を楽しんでください!

 

U-18優秀賞 小説「死にたがり屋のアリスの話」

【 概要 】美しい歌声を悪魔に奪われて絶望した少女アリスは、自らの命を絶つために森に入るが、そこで、人の言葉を話す鷲に出会う。鷲から「死ぬ前に、悪魔からあなたの歌声を取り返したいと思いませんか?」と問われたアリスは、鷲とともに歌声を取り戻す旅に出て……。

U18ということで、なんと16歳の作品です!

まず最初にタイトルに魅了されてしまいました。とてもキャッチ―で、内容が気になる、わくわくするタイトルです。

あどけなさが残る作品でもありますが、伝えたいメッセージは明確で、読後はさわやかな気持ちになります。その年齢が抱えるなんともいえない絶望感がじんわりと作中に垂れ込んでいて、とてもリアルでした。自分も高校生くらいの時に同じような絶望感を抱いていた記憶があるので、「あぁ…わかるなぁ…」と思いながら読みました。

おそらく全人類が持っている「死にたがり屋」の種と芽をどうやって摘み取っていくのか。今この瞬間も自分が生きているのは、多くの人から与えられている結果であるということを、説教臭くない十代のみずみずしさで語られていて、なにもいいことを見出せない日々を送っている学生さんなどに読んでもらいたいと思いました。

自分が小学生のときにこの小説があったら、夢中になって読んでいたのではないかと思います。おばあさんの語り口調で物語が進んでいくのですが、その表現も新鮮でした。

鎌田さんの他の作品ももっと読んでみたいなーと思いました。今後がとても楽しみです。

イラストはいわゆる「アリス」のイメージにやや引っ張られるかたちになり、童話チックな雰囲気を狙ってみました。扉絵は何種類か作成したのですが、最終的に森の入り口付近で鷲と出会うアリスの絵に決まりました。

鬱蒼とした森でありながら、暗すぎても画面が真っ暗になってしまうので、塩梅がなかなか難しく………………自分よりも大きな鷲に出会ったら怖くて気絶してしまいそうです。

 

U-18優秀賞 詩「愛の訪問者」

【 概要 】日常生活のなかで見逃しがちな風景に美しさを見出して綴る「夜明けまで」や「夏の空」。人との関わり合いのなかで生まれた心の変化を詠いあげた「涙の池」「言葉を添えて」など、十代の感性で世界を見、思いを語る詩集。

こちらもU18で、高校生の作品だそうです。

「愛の訪問者」 というタイトル通り、優しくてやわらかいものがふっと通り抜けていくような詩集でした。すべての詩がとてもさわやかで、心洗われるような透明感があるなぁと思いました。

詩の技巧的なものは全く分からないのですが、読んでいると自分も素敵な女の子になれるような気になりました。

何気ない毎日のなかのわずかな感情のゆらめきも見逃すことなく、 悲しみや苦しみや切なさ、悩みといったものもさらっと表現されていて、心地よさを感じます。どの詩も読んでいて心が軽くなるようでした。素敵な女の子の心をのぞき見しているような気持ちになります。笑 

扉絵は収録されているいくつかの詩のモチーフを取り込み、詩集全体のイメージを表現しました。個人的に月のことを詠っている詩がお気に入りだったので、メインイメージにしています。笑

 

 

そんなわけで、つたないながらも感想を綴ってみたりしました。

面白い作品なのももちろんですが、読んでいるとこちらの心を照らしてくれるような、夢や愛や希望、それこそ幸せといったものに満ちていて、元気になれる作品ばかりです。

ぜひ、お手に取ってみてくださいね。

 

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KING OF PRISM -Shiny Seven Stars-第Ⅳ章の感想

キンプリスッスッスの第4章を見てきました。

1~3章も劇場で見てきていますが、感想を書く時間を取れなかったので地上波放送になったときに書こう!と決めたものの、もう4話のカケル回になってしまって………法則も何もなくいきなり4章から感想を書くのはどうなのかなと自分でも思うのですが、どうしても、この感動を忘れないうちに書きたいと思って書きます。

※ 本編のネタバレで成り立っております。予めご了承ください

はじめに

キンプリスッスッスことShiny Seven Starsは2019年4月から地上波放送しているアニメです。劇場アニメKING OF PRISM、KING OF PRISM-Pride the HERO-の続編になっており、キンプリの愛称で知られています。

細かい部分は端折りますが、「キンプリ」と「映画館」はファンにとって特別な一体感を生み出す場所でもあるため、地上波放送に先駆け、映画館で3話4章編成で3週間おきにアニメの先行上映をしています。

5/4(土)から劇場公開された4章は、アニメでいうと10~12話(最終回)にあたります。

 

「プリズムショーは心の煌めき」

プリティーシリーズの最初から言われ続けてきたこの言葉の意味を初めて、本当の意味で理解できた気がします。

今までどんな作品でもプリズムショーは絶対に「素晴らしいもの」でした。キラキラと輝いていて、眩しくて、美しくて、見ると笑顔と元気と感動をもらって、時には生きる希望ももらいます。それは彼らの心が美しく煌めいているからなんだ!と確信できる素晴らしいショーでした。

でもそれは、今まで見てきたショーをしていた彼らの心が、とても純粋で素直だったからだということがわかります。

 

シャインのプリズムショー

11話で描かれたシャインのプリズムショーは、とても「心の煌めき」とは思えない、ひどく利己的で、どこまでも自分勝手でおそろしいものでした。

今まで私たちが見てきていたプリズムショーが「みんなを笑顔にしたい」「みんなの心をときめかせたい」という“与える愛”の想いからくるものだとしたら、シャインのプリズムショーは「一番優れている僕を愛せば幸せになる」「僕が愛してあげるから君たちの愛もすべて僕に与えろ」という“奪う愛”です。

見る人のことなんて何も考えていない。いかに自分が優れているか。ジュネ様が「心がない」とおびえながら言っていましたが、その通りだと思います。

プリズムショーは心の煌めき。この素晴らしい言葉が、諸刃の剣でもあるということを身をもって実感しました。

「こんなに怖いのはプリズムショーじゃない…」と、本当に泣きながら思っていましたし、シャインがジャンプでも歌でもしきりに言っている「愛」をきくたびに「こんなものは『愛』じゃない」と怒りもこみ上げてきました。

 

プリズムショーと「愛」

十王院カケルが心動かされたプリズムショーの「愛」はシャインのようなものではないはずです。ジュネ様が文字通り命を懸け、命尽きるまで愛する人のためにやったプリズムショーも、シャインのようなものではありません。

シャインはM型のプリズムショーのことを「とても利己的だ」と言っていますが、彼以上に利己的なプリズムショーをした人がいただろうか?と…。自分がそうだからそう見えているだけなのではないのか。

何よりも、Over the Rainbowのプリズムショーを見て、プリズムの女神に祝福される速水ヒロのPKCのプリズムショーを見ても同じことを思ったのか…正直シャインの考えている意味が分かりません…が、シャインの定義する「愛」が、根本的に私たちが思い描く愛と違うのならばなんとなく話は繋がってくる気がします。

 

シャインの「愛」

おそらくシャインにとっての愛は、自分だけに向けられるもののことなのでしょう。誰かの中にあるものでもなく、誰かが誰かを愛することでもない。誰かが自分を愛するものが彼にとって愛なのかもしれないと思います。あまりにも傲慢で自分勝手で、彼のプリズムショーそのものだと感じます。

だからりんねに「君も好きなんだろう?僕のことが…」なんて言える。自分のショーが利己的でないのは、自分に愛を集めるプリズムショーこそが素晴らしいプリズムショーだからなのでしょう。

彼は作中で「悪魔」と表現されていますが、多くの悪魔がそうであるように、自分に信仰を集めたいのだと思います。どんなM型のプリズムショーよりも自分の方が優れていると自負しているから、自分を崇めないショーには意味がないだろうし、自分以外のショーには価値もないのでしょう。

シャインのプリズムショーは素晴らしい技術があるかもしれないけれど、自分以外のすべてのプリズムショーを見下すかのようなまがまがしさがあります。

何よりも許せなかったのは、プリズムショーで世界が輝いて見え、プリズムショーの素晴らしさを魂レベルで理解していて、世界は輝いていることを人々に伝えたい、みんなを笑顔にしたい!という想いでプリズムショーをしている一条シンの体を使っていることです。

シンくんを食らおうとして、シンくんの心を踏みにじって、シンくんを泣かせたシャインを絶対に許せない。

 

響ワタルというプリズムスタ

山田さんの憧れのプリズムスタァとして登場する響ワタル。響ワタルは肉体を持っていたシャインだと思われますが、響ワタルはシャインのようなプリズムスタァだと思えないです…。

響ワタルは、人々の心を煌めかせるような「心の煌めき」を持っていたのでは…?と信じたいですし、もしかしたら速水ヒロの父親がこの人なのではないか…とも思うので、素敵なスタァであってほしいです。

“封印された”という結果がシャインをああいうふうにしたのか…でも山田さんはシャインのショーを見て響ワタルのショーだと言っているし…。何よりも封印されたのはずうっと昔のはずなのになんで響ワタルが…?

まだ一度しか見ていないため、取りこぼしている情報がたくさんありますね…。もう少し響ワタルについて、考えてみたいですが、素敵なプリズムスタァだといいなぁと思います。

 

「世界は、輝いているって!」

スッスッスのメインコピーは「見せてあげるよ!世界は、輝いているって!」です。

これは主人公である一条シンが、第一作目のキンプリでOver the Rainbowのプリズムショーを見て、「世界が輝いて見える…!」と悟ったことに由来します。

キンプリではシンくんだけが持っていたこの感情を、スッスッスではエーデルローズのみんなが、そして、彼らのプリズムショーを見たシュワロツローズのスタァたちもおそらく持っています。

登場人物全員がこの美しい価値観を魂ごとぶつけてくれるからこそ、スッスッスの感動があるのだと個人的に思います。

 

「奇跡は二度起きるの?」

キンプリは、最初からずっと「世界は輝いている」ことを決定事項として掲げています。

ジュネ様が聖に「奇跡って信じる?」とたずねたとき、聖はすぐさま「もちろん!」と答えます。聖は、現実問題としてさまざまな危機に他人の明確な悪意のもとおいやられています。ですから、世界は甘やかで美しいもののみで構成されていないことも知っているはずです。それでも聖は、この世界の善なるものを信じている。仁のことも心から心配しているし、仁の心の中にある煌めきを誰よりも信じているのも、きっと聖です。

プリズムの煌めきによって「輝いている」世界で、その煌めきのすばらしさを心から信じている人間がいて、奇跡があることを疑いもしない人間がいる世界で奇跡が起こらないわけがないじゃない…!

ジュネ様はプリズムの女神により「奇跡」を授けられたプリズムの使者です。

彼女が使者の役目を免除され、代償はあれど愛する人と同じ人間として、愛する人のいる世界で生きていけるということは、まぎれもない奇跡の一つです。

また、聖はたびたびプリズムの女神に祈りをささげていますが、聖からしたらジュネ様の記憶が戻ったことも女神からもらった奇跡なのでしょう。エーデルローズの生徒に恵まれたこともきっと奇跡のような出会いだと思っているかもしれません。もしかしたら、愛人の子であるにもかかわらず法月氏にかわいがられて育ったことも奇跡だと思っているかもしれません。きっと聖は、自分の周りに起こる幸せな出来事を、与えられているものだと思える人間なのだと思います。

「奇跡は二度起きるの?」という言葉に聖の回答はありませんでしたが、彼は少し考えた後、やはり肯定するのではないかと思います。そして奇跡が二度起きるかの答えは、作品を見ればわかります。

物語のジュネ様の祈りにプリズムの女神が応えたように、正しい祈りは必ず聞き届けられる。なぜならプリズムの女神の加護が世界にはあるから。この大いなる前提があるキンプリの世界が大好きだと心から思いました。

というか、RLも入れれば結構たくさん奇跡は起こっていますよね。笑 

一度失われたプリズムの煌めきが、なるちゃんによってまた世界に満ちたのも奇跡でしょうし、同じ世界にりんねが二人いたこともバグやイレギュラーと言われても、やっぱり奇跡だと思います。やっぱりキンプリの世界は、たくさんの奇跡で紡がれています。

 

プリズムの煌めき

今回の映画でも、RLと同じく世界からプリズムの煌めきが失われてしまいます。今度はあの頃よりももっと大規模で「プリズムワールドが世界を切り捨てた」という非道なものです。

それでも、あの世界でプリズムの煌めきは失われませんでした。例えとして正しいかどうかはわかりませんが、水道と湧き水に近いのかな、と個人的に思ったのです。

水道が絶たれたらもちろん水は出ませんが、この世界から水がなくなったわけではない。どこかで、誰かが必死に掘り続ければ水が湧き出るかもしれない。

プリズムワールドから切り離されても、自分たちの心の中にあるプリズムの煌めきを見つけ出すことが出来れば、そしてそれを広げることが出来れば、世界にはまたプリズムの煌めきが満ちる…。

切り離されてしまったから、これからの世界はみんながプリズムの煌めきを絶やさないようにしなければいけないかもしれないし、もしかしたらシャインのように奪う愛のショーをしてしまう人も出てくるかもしれませんが、あの世界を守護する新しいプリズムの女神(感涙で死ぬ…!)と、ルヰくん、そしてジュネ様が守ってくれるので、きっと大丈夫なのでしょう。

オバレもハッピーレインもベルローズも、セプテントリオンも、そしてシュワルツローズもいる。これからのプリズムショー界はどのように発展していくのか、とても楽しみです。この世界はプリズムワールドとつながっているどんな世界よりも煌めく気がしてなりません。

 

プリズムの煌めきとは何か

ここからは突然宗教的な話になってしまいますが、キンプラを見た時からどうしても書きたいことだったのでここで書きます。

キンプリにかこつけての話では一切なく、ただのおたくが自分の持っている信仰という価値観と合致したものに対する喜びを綴っているだけの文章です。お気を悪くする方がいらしたら申し訳ありません。

 

 

 

その答えは「仏性」だと思っています。

仏性とは、仏神と同じ性質である善なる心のことを言い、全員が持っているものです。

彼ら一人一人のプリズムショーがこんなに個性的なのも、それぞれの魂の色だと思うのです。

なぜこの仏性がプリズムの煌めきなのかというと、プリズムの煌めきも「その人の魂だけが持っている輝き」だと思うからです。きっと同じプリズムの煌めきはあの世界には何一つないのだと思います。まったく同じジャンプも、まったく同じプリズムショーもないように。

菱田監督が以前「プリズムの煌めきがない人なんていません」とおっしゃったことがあったと思います。誰の心にもある、それこそGiftでりんねちゃんが歌っているような「誰もがみんな持ってる自分だけのSpecial address」なのかなと思います。

以前キンプリと出会った喜びについてつづった記事の中で、このようなことを記しました。

私個人はプリズムショーは彼らの「心」(魂と言ってもいい)の「プリズムの煌めき」だと感じています。

キンプリから教わった大切なこと - おたくで幸福を科学できるのか。

なぜプリズムショーを見て感動するのか。私個人は、どうして感動したのか。

考えてみたときに、彼らの精いっぱいの「心」や「魂」を見ているからだと思いました。「プリズムショーは心の煌めき」で「プリズムジャンプは心の飛躍」です。

心って絶対に嘘がないです。嘘がないから見ていて感動するのだと思いました。シンくんたちはどんなときも絶対に手を抜かないで全力で一生懸命で、だからこそ、その姿が胸を打つ。

プリズムショーは「愛」だと、スッスッスを見てきて思いました。みんなの心が飛躍したきっかけは何か考えると、「自分の事も他人のことも愛することができた」のではないかと思います。

「自分のなかには、仏性がある」と信じるということは、どういうことかといえば、「自分のことを自分で愛せる人間になる」ということだと思います。

『徳ある人への第一歩』/第2部 自立した人間になるためには

キンプリに登場するみんなは、自分の事にも、他人のことにも一生懸命で、自分の事も他人のことも力いっぱい愛する努力をする子たちです。

なかなか自分を愛そうって思うことも難しいから、努力をしなければいけません。でも、スッスッスの最終回で描かれたように、プリズムの煌めきが自分たちの中にもあると信じられたら、無限に力が湧き出る気がします。

キンプリを大好きであればあるほど、励まされる力は強いはずです。だって、今までキンプリが持つ「プリズムの煌めき」に魅了されてきたからです。それと同じものが自分にもあると思えたら、信じられたら、どんなことも頑張れる希望になるなぁと思いました。

 

法月仁について

仁は、自分を愛せない人間だと思います。彼はそんな自覚ないでしょうし、ある意味で「自己愛」の強い人間でもあると思いますが、本当の意味でずっと愛に飢えていたし、愛を求めている人でした。

認めてほしい、愛してほしい、ほしいほしいの気持ちが強かった彼の中で、ただただ彼に寄り添ってくれていたルヰくんは、もしかしたら仁にとって初めて代償なくそばにいてくれる人だったのかもしれません。

仁の母親は格を重んじる性格だと聞いていますし、「○○でなければ愛されない」や「○○しなければ価値がない」と刷り込まれてきてしまっていたのだと思います。

愛されるために何かを探したり、認められるために何かをしなければならないというのはとてもつらいでしょうし、実際に仁はそれで(汚い手を使っても)結果を出しているので、努力家でもあるしあらゆる才能もあるのだと思います。だからこそ、満たされないものが強い。聖を理由にすることで、満たされないものをごまかしているように見えます。

ルヰくんのショーのあと、仁は聖がジュネ様のショーのあとにしたように、力尽きたルイくんに駆け寄って抱きかかえます。 聖のあの行動はジュネ様を愛しているからの行動なので、それに当てはめると、仁もルヰくんを愛しているのだと思います。

仁の変化は大きく語られていませんが、1話から見ていったときに、確実に彼にも変化が訪れているのがわかります。

聖を屈服させるのにプリズムショーでなければ意味がないという発言が飛び出したのも、彼の心の変化の一つからくるものだと思います。仁のセリフを逆説的にとらえていくと、仁自身がプリズムショーに心を動かされている人間だということがわかる気もします。

「法月に似たのでしょう」という母親からの言葉が、仁にどのように響いたのかはわかりませんが、複雑な気持ちの中にも、光が差し込むような温かさがあったのではないかと思います。というか、あったらいいなーと思います。

速水ヒロのプリズムショーが、エーデルローズのみんなのプリズムショーが、黒川冷を慕うアレクのプリズムショーが、そして仁を慕うジョージのプリズムショーが、彼の心を様々に照らし出していったのかもしれない…?と思うと、幸せな気持ちになります。

仁は聖にすべてを奪われたと思っているでしょうから、聖からすべてを取り上げれば自分も幸せになると思ったはずです。でも奪っても奪っても、求めたジュネはすべりおちて聖にかえっていき、押し付けた負債はなんだかんだで返され、聖はプリズムの煌めきの中で幸せそうに微笑んでいる。

奪ったからって自分が満たされるわけではないということを、ルヰくんが隣にいてくれたことによって仁は気づいたのかもしれない…。

先ほどプリズムショーは愛だと書きましたが、愛が何かが分かれば、プリズムショーで感じられる煌めきも大きくなるのかもしれないです。仁が、なんとなく自分の胸にもあたたかい、愛というプリズムの煌めきがあると思った場合、ああいった形でエーデルローズと決着をつけることはできなかったのかな、なんて思ったりもします。

 

仁は大人なので、そんなに簡単に心に刺さっているとげを抜くことはできないかもしれません。母親は仁よりもそれが強いと思います。

しかし、ジョージのように仁に憧れているプリズムスタァもきっとたくさんいるし、仁によって心が煌めいた人たちもたくさんいるでしょうから、その人たちの愛にも目を向けられるようになるといいなぁと思いました。

でも仁のことはまだまだよくわからない!わかるようで、そんな単純で簡単なものではないだろうとも思います。仁もどしゃぶりにハッピーになってくれるといいな。

 

 

ううん……………ごちゃごちゃだし感想…なのかもわかりませんが、ひとまず、ここで畳みます。加筆修正するかもしれないし、ちょっと……あれだったら下げるかもしれません…(びびり)

(5/10に少し加筆しました)

 

実はキンプリに関しては、下書き状態の記事が3つほどあります。今回はその時の記事も足しているので、やや内容が…ただの感想にぶち込まない方がよかったかな…という部分もあります。お気を悪くした方がいたら申し訳ありません。

改めて、素晴らしい作品に出会えたことと、素晴らしい作品を作ってくださったみなさまに心から感謝申し上げます。

キンプリに出会ってから、私の人生は本当に楽しくなりました。世界は輝いていると確信できたからです。そして、今回スッスッスで教えてもらった、「世界はどんな時も輝いている」ということを、私は絶対に忘れないと思います。

たとえ気分が落ち込んだ時でも、つらいことがあったときでも、どんな状況にあっても、世界は輝いていると確信できるものをもらいました。何よりも、明日を一生懸命生きることを誓ったのです。

こんなにたくさんのものを与えてもらって、こんなに心動かされる作品に出会えて…20世紀で最高の出来事です。(21世紀です)

 

まだまだ続きが出来そうなキンプリ。まだまだ続きが見たいです。ひとまずですが、スッスッスという一つの決着(…?)を見られて幸せでした。太陽のように、何億年も前から、そして何億年後もキンプリは続きますよね!!!!

毎回毎回見るたびに最高の作品をありがとう!と声を大にして叫んでしまいますが、今回も最高の作品をありがとう!!!の気持ちでいっぱいです!!

どうしたらこんな作品が作れるんだ!さいごまで責任取ってもらわなきゃいけませんね!!

平成と令和のあいだ

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冷静と情熱のあいだのようなタイトルになってしまいました。令和になってすぐワンドロした正真正銘のかきぞめイラストです。令和もよろしくおねがいします!

素敵な時代になっていってほしいですね。素晴らしい時代をつくっていきたいですね。

新しい時代の幕開け。不思議な気分です。年明けを迎えるときのような少しのそわそわと、期待のドキドキと、まったく初めての経験だからか、不安で涙がじんわりとにじんだりもしました。今でも少し切なくて涙が浮かんできます。

年明けと違うのは、自分や周りだけでなく、国も一緒に「新しい」を迎えるからでしょうか。日本も同じようにドキドキしているんでしょうか。新しい日本に乗せてもらっている今の私たちは、未来の日本に素晴らしいものを残していけるでしょうか。

私は平成に生まれて、平成しか知らず、平成をただただ生きてきました。

じつは周りの友人が口々に言うほど、自分にとって「平成最後」は大きなものではなかったです。終わるから、次が来る。その程度の考えでした。

元号ときいても元号が変わるだけで、その瞬間に山積みの問題がすべてパアになるわけでもないし、厳しい時代の負の遺産は持ち越されてしまうのに。なーんてすれた考えをしていました。

仕事を終えて、電車に揺られ、バスに揺られているときに、まるで一日が終わるかのように自然な流れで「平成が終わる」ことを実感しました。終わりを実感した瞬間、自分が生きてきた平成が、とても愛しいものに思えてなりませんでした。

平成は災害も多く、景気もそんなによくなく、明るいニュースばかりの時代ではなかったかもしれません。それでも、自分が生まれ、生きて、そして生かされてきた平成を「失われた時代」だとか、「震災の時代」だとか、そんなふうにはとても思えなかったし、思われたくない。

まちがいなく、「私の生きた時代」は平成なのだと自覚したとき、平成を愛していたんだなぁと実感しました。

 

しかし、私はただ平成を生きただけで、その年月に何かを残すことが出来ただろうかというと「何もしていない」の一言です。何もしていません。

私は平成でたくさん愛されたんだな。自然にそう思えました。平成の時代の私は、たくさんの人に支えられ、友人に助けられ、家族に育てられ、環境に育てられ、多くの人に導いてもらって、そこでわがまま勝手に生きている子供の時代だったのかなと思います。

2018年頃から少しずつ「ひとつの時代を象徴するようなもの」がうしなわれるニュースがありました。その時に、「新しい時代」が来るんだなぁと、他人事のようにいつもニュースを見ていました。新しい時代には新しい風が吹くから、亡くなったひとたちは新しい時代のために天上界で活躍をするんだろうと思ったし、失われていった制度や建築も、新しい創造のために朽ちていったのだろうと。たぶん、私自身もこれにあてはまるんじゃないかと、今日記を書きながら思っています。

私は「平成」の人間だと感じています。新しい時代は、令和の人たちが紡いでいくものにきっとなるんだろうと思います。今まで、多くの人に支えられていたから自由気ままに生きていられたけれど、今度は私が人にしてもらったように、平成で教えてもらった善いものを人に伝えて、与えて、導いていけるようにする番なんですね。

そんなわけで、令和はきちんと大人になっていきたいと思いました。小学生の作文のような気づきと目標ですが、心に銘じて、新しい時代を背筋伸ばして歩いていきたいと思います。

 

元号が変わるだけで、こんなにもぴっと心が引き締まるのだから不思議です。新年よりももっと、もっと広い範囲で慶びと期待を共有しているようなきもち。

時代の変わり目に出会わずに生きることも、もしかしたらあったかもしれない。でも今こうして、改元して、新しい日本に進もうとしている。その瞬間に出会えた人間として、日本という国がまた千年、二千年と美しく発展していけるよう、素敵な歴史を紡いで行ける日本国民のひとりでありたいと改めて強く思いました。

 

改元にあわせて、ヘタリアの日本のキャラソンである「日のいずる国、ジパング」を久しぶりに聴きました。「天を照らす神のもと、私たちの歴史、また千年紡ぎましょうね」という部分に胸が熱くなる。

それにしてもヘタリアのおかげで楽しい平成だった!ありがとうヘタリア。ありがとう平成。よろしく令和。 

000〈トリプルゼロ〉~どうして空は蒼いのかpart.Ⅲ~の感想

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……あまりにも今さらすぎますがグラブルの5周年イベントである「000〈トリプルゼロ〉どうして空は蒼いのかPart.3」の感想をかけたらと思います…。

イベストを読み返したりしていないため、ただただ自分の心と頭の整理のための感想です。

画像はTwitter加工違いサンダルフォンです。Twitetrはこちら。

今回の000〈トリプルゼロ〉にはたくさんの意味が含まれているとDが言っていましたが、チェスから読み解く考察がとても面白く、様々な角度から楽しめる味わい深いシナリオだと改めて感じました。知らなくてもいいけれど、知っているとよりおいしいというのはまた一段作品の深みに触れることになり、より楽しさが増しますね。

Twitterのトレンドがグラブル一色だったのも納得です。フェルやファーやベリアルの名前は宗教的な問題から複雑なところではあるのですが、見事なお話だったと思います。

 

※「どうして空は蒼いのか」シリーズのネタバレを含みます

 

スケール感が魅力の「どうして空は蒼いのか」シリーズ

ど空シリーズは「周年イベントとして、劇場版のようなものをつくろう」というのが始まりだったとDが雑誌でお話していました。いままでのグラブルのシナリオイベントよりも、一段クオリティの高いものが出てきた。というのが最初の印象です。ど空前と後ではイベントシナリオの質が良い方向に変わってきていると個人的に思います。

このイベントシナリオシリーズは全体を通してスケールが大きいことが特徴だと思いますが、いろんな作品を見ていて感じることの一つに、「スケールを大きくすると畳むときに急に世界が狭くなる」というものがありました。

何かの物語を収束させるにあたり、読者やプレイヤーの感覚からあまりにも遠いところにあると理解も満足も得られないからだと思いますが、それまで宇宙規模でしていた話も、急に半径3メートルの世界にまとまるようなことがままあると思います。

雑誌インタビューによると、ど空は続編がきまってからは2作目と3作目を同時進行していたとも話していたので、おおまかな流れは最初から決まっていたのかもしれませんが、きちんと失速することなく「天司」たちの物語がひとまずたたまれたことが、まず素晴らしいと思いました。

ここで終わっちゃうの?と全く思わなかったとは言えませんが、ありがとう!といえる満足感のあるストーリーでよかったです。

 

ベリアルのキャラ立ち

2で多くの新規ユーザーを獲得し、3でも新規ユーザーを沼に叩き落としているベリアルですが本当に素晴らしいキャラでした。3が終わったからこそより輝く…。

敵としての魅力

敵役にあってほしい「思考がわからない」というのが、個人的に感じたベリアルの大きな魅力のひとつでした。何が真実なの?どこまでが本当?と彼について考えてしまうし、どんなに考えても正解が出てくる気がしない。わからないから考えてしまうし、つかめないから追いかけてしまう…そんなところが、彼がファンをとりこにするところなんだろうなぁと思いました。

また、ベリアルの魅力に「賢い」というポイントがありますが、色気があって賢いというのは大変…いいですよね…。

少しずつ見えてきた気がする輪郭

でも全然それが事実か分からないこの感じ!とてもにくいです。

トリプルゼロでベリアルに魅了・昏睡が入らない理由がストーリー的にも(解釈のしがいのある形で)明かされましたが、そういった理由でアビリティにも反映されているのは面白くて良いなぁと思いました。ファーには魅了が入るのも味わい深いです。

また、ベリアルとバブさん(結局名前は何だったんだろう…)のだまし合いのような会話も実に「悪魔同士の会話」といった雰囲気でひじょうによかったです。ベリアルの狡知が際立つところも。チェスに見立てていたから登場キャラが「騎士」だったのも、チェス考察を読んでうなりました。よくできている…。

バブさんのフィジカル&フィジカルでメンタルもフィジカルな感じも好きです。今後バブさんもちょこっと出てくる?ようなことを言っていたので楽しみですね。パンデモに出て来るんでしょうか…まだあそこを掘るのでしょうか……。

細谷さんのお芝居 

ベリアルの魅力を語るときに避けては通れない細谷さんのお芝居…!鳥肌が立つほどよかったです。プレイしていて感じた満足感のひとつに、まちがいなく細谷さんのお芝居がありました。特に好きなのは「オーケィ」や「イイねぇ」など、よくベリアルが使うけれどシーンによって含みや印象が変わる言葉のお芝居です。ほのかなニュアンスの違いがベリアルのつかみどころのなさを効果的に演出していて、ぞくぞくするほどかっこよかったし素敵でした。

ミカエルとの掛け合いや、バブさんとの騙し合いのような会話、ファーとの会話、特異点である主人公に話しかけるときの声音など、どれも絶妙で物語を翻弄していたと思います。物理的に一番体を張ったのもきみだよ。

グラブルフェスのジークフリートごっこもとてもよかった…。罪深い…。

 

 また、Twitterでみかけた感想のひとつに、ベリアルのように2作目で爆発的な人気が出てしまうと、3作目でそのキャラをファンサービスに寄せて軸がぶれてしまったり、イイモンになってしまう問題があるが、ベリアルはそれがなくてよかった。といったものがありました。こちらの感想を見るまでまったく気づいていなかったのですが、確かにそれはある気がします。最後までずっと、憎いくらいいい敵役でした。

 

ベリアルのファーさんへの感情は何か

ベリアルのファーへの想いは「愛」のように描かれているし、腐女子的に読み解くとそれでもいいような気もするんですが、ほんの少し、なんだかひっかかるものがたくさんあります。どんな感情があるのか、全然わからないんですが、思い浮かぶものをひたすらにならべてみたいと思います…。

「愛とは矛盾するもの」とベリアル本人も言っているし、ベリアルのファーに対するセリフにも甘い含みを感じる部分もあります。2000年ものあいだ、ひたすらにファーの計画実行のために睡眠もとらず、ずっと気を張って策を弄していたのかと思うと、その想いの強さはたしかに「愛」かもしれない…とも思います。ベリアルのせりふにも2000年にわたる献身を愛と捉えてもらって構わないという含みがありますし、ベリアル自身も人生において優先しているものは「愛」であるとうそぶいてもいます。

その愛は腐女子的には恋愛感情でなんの問題もないのですが、シナリオを読んでいてるとそれでいいのか…?と悩んでしまう自分もいます。

恋愛で塗りつぶさないでなんとか考えようと思ったときに、子が親に求める愛情にも近いような気がしました。たとえば、ベリアルはフェルに次ぐ立場ですがファーがフェルとベリアルに向ける想いはまったく違うものです。

そこに嫉妬があったのか…は正直なところはっきりとわかりませんが、姿まで似せているフェルに対して、全く何も思わないということはないのではないかな…と人間心では思ってしまいます。

Parade's Lustの歌詞に「daddy won't stop your inhibitions(誰もアンタを止められない)」とあって、意味としてはわかるんですが、なんとなくベリアルがファーを「父」として見ているのでは?と思っていたこともあってひっかかっています。

信仰

個人的には一番これがぴんときます。ベリアルにとってファーは造物主であり、「終末」によって「救済」をもたらしてくれる「救世主」そのものでもあります。シナリオに「俺の救世主〈メシア〉」というせりふもありました。

2000年もの間、人は恋愛感情だけでその人のために不眠不休で働けるでしょうか。ベリアルは人ではないので判断が難しいですが、やっぱり難しいんじゃないかなと思います。それなら信仰心ならばどうか。こう考えたときに、「できるだろう」と思いました。

彼が「信仰」でもってファーを見ている場合、「生み出した」のはファーであるからこそ、「終わらせる」のもファーであるべきだと考えるのではないかとも思うのです。「良い“終末”を」は2000年間自分に言い聞かせてきたことかもしれない…とも思いますが、本当に…わからーん!わかりません!人間では星の獣の気持ちはわからない!まして2000年もの間…人間には途方もない時間かもしれないけど星晶獣であるベリアルからしたら違うかもしれないし、心境の変化をもたらすような時間なのかもしれないし、わかりません…。

ただ、ベリアルの発言全てを「真実」でもあり「嘘」でもあると捉えると、「救われたい」という気持ちは持っているのではないかと思うのです。

彼が「狡知」であるがゆえに、人の一生にも獣の一生にも、なんとなく見える「終わり」があるかもしれないと思います。そこから見たときに、ベリアルにとって獣の一生がやはり空虚でしかないのであれば、「与えられている役割」以外の何かを見つけないと生きていられないのではないか…?と感じる部分もあります。

その時に選んだのが、「ファーの野望」なのかもしれないし、彼が定義する「愛」を謳歌する…ということなのかもしれない…?結局「愛」に戻るのだろうか…?

 

ベリアルが望む"終末"

ベリアルがミカエルたちに語った獣の一生は事実だし、やはり詭弁ではなく本心だと思っています。ベリアルが行った“矛盾”と思われるもののなかに「サリエルを助けた」ことと「終末の止め方を教えた」ことがあると思います。

サリエルを助けたことや、あえて終末を止める方法を教えたことを考えると、ベリアルは世界そのものを終末に向かわせたかったわけではないのではないかと思いました。それを望んでいたのはファーのみで、ファーが望むからやろうとした。

ベリアルが望んだ終末を砕いて考えると、「獣としての空虚からの解放」「ファーさんの願い」が両立するものなのか…?あともうひとつ、ファーの邪魔をするバブさんの退場は絶対条件だったと思いますが。

「愛とは矛盾するもの」というベリアルの弁を考えるならば、「終末を望む」が「終末を望まない」ということにもなる。そこに愛をねじ込むと…たしかに愛で筋が通る…?

"終末"が来ればファーは目を覚ますけれど、本当に"終末"になってしまったらすべてが消えてしまうから…?

ただ恋愛なんて甘いものではなくて、そこには「自己愛」があるのではないかと思ってしまうのです。

 

ファーさんとベリアルとフェルとサンダルフォン

ファーとベリアルの関係は、裏返したフェルとサンダルフォンのような気がします。今回のイベントになぞらえていうと、セフィロトとクリフォトのような(…?)感じもします。(よく分からないで言っている顔)

サンダルはフェルから作られているし、サンダルが言っているように彼にとってフェルは「光」そのものです。ベリアルはファーに作られていて、ベリアル曰くファーは「救世主」。救世主ということは、少なくともベリアルにとっての光と言えるのではないかと思います。

自己愛について

ベリアルとファーは「自己愛」で繋がっていて、サンダルとフェルはお互いへの愛、つまり「利他愛」で繋がっているのではないかとシナリオを読んでいて感じました。

もう一度、ど空1~3をきちんと読み返さなければさまざまなものを取りこぼしていると思うんですが、とりあえず思ったままを勢いで走る…!

ベリアルにとってファーが「父」や「救世主」だとして、ファーから見てベリアルは何者なのかと考えると、「星の獣」以外の何物でもないのではないかと思うのです。よく動く便利な駒というか。ではファーから見たフェルはどうなのだ?と考えたときに、本人に自覚があろうとなかろうと、ルシオが指摘したように「不完全な自分」の本能的欠乏感を満たすための存在だと思うんです。そう考えると、ファーにとってフェルはやはり特別であると思います。フェルも「我が友」と呼んでいるし。

幼稚で単純な言葉にしてしまうと、ベリアルは「ファーに認められたい」あるいは「ファーが認めているフェルを下したという実感がほしい」という気持ちがあるとして。そしてファーは「完璧」な存在への渇望がある。結局それらの渇きのためにお互いを利用しているのがベリアルとファーなのではないかとも思うのです。

神がつくっている秩序を崩壊させ、"終末"させたときに自分こそが万能であり「完璧」になる。ファーさんが終末を望むのはそういう理由だと思いますし、だからこそ神を憎んでいる。

自己の存在証明でもあり、自己肯定感でもあり………語彙が足りずにうまく言い表せないのがもどかしいですが、とにかく“自分のメリット”で一緒にいる。ファーから言えば利用している。ベリアルとファーは協力者というよりも、共犯者に近い二人だと思うんです。

利他愛について

サンダルフォンもかつては自己愛に生きていました。そのために世界を滅ぼそうとしたり、やんちゃをしてすねてひねてもいました。サンダルフォンの変化は「ルシフェルの死」が原因です。本来使われることのなかった自分の本来の役目が、フェルの死によってぽっと浮上してきた。そして、この責任から逃れることは世界の秩序として不可能。なによりも、フェルという存在を背負いたいと彼が思ったことが、彼の「自己愛」からの脱却で、利他愛のスタートです。

しかし、このスタート段階では、サンダルフォンは自己愛と利他愛が半々な状態だと思います。気持ちはフェルのみにしか向かっていないし、すべてが終わったら消えようと思っていたし、自己完結で生きているからです。

しかし今回の000でフェルのみにしか向かっていなかった想いが、「自分を生かす世界」にまで向いたこと。生きたいという願いを持ったこと。ここには彼の自己愛はもうどこにもないと思うのです。

「自己愛に堕ちていた不用品」

ファーはエテメンアンキにやってきたサンダルにこの言葉を投げます。

私はシナリオを読んでいるときすでにファーは自己愛で動いていると思っていたので、このせりふは皮肉だなぁとうなりました。

ど空パート1でサンダルフォンがやっていたことをルシファーはやっている。自分も同様に「自己愛に堕ちている」のだという自覚がファーにはないのだと思いました。

 

「どうして空は蒼いのか」

フェルはこれについて、「問い」とは「願い」であると言っていました。はっきり言って、私には難しくてよく分からないです。それでも、サンダルフォンの成長を見たときに、ほんの少しだけ、気持ちで分かる気がしました。

かつてのサンダルフォンは空が蒼であろうがなんでもよかったはずです。それでも、今彼が生きている空は蒼い。終末が近づいて空が赤くなったなど、現実的にもさまざまな空の色の描写がありましたが、とにかく空が蒼であることがルシフェルの「願い」。

それは、秩序のある世界だからかもしれないし、フェルにしかわからない世界の在り方の話もあるかもしれませんが、「今が素晴らしく美しい」という意味なのかなと単純に解釈しました。

そして、素晴らしく美しい今を続かせたい。サンダルフォンが守りたいと思った空は、間違いなく蒼いだろうと確信した時に、初めて「どうして空は蒼いのか」というタイトルが胸にじわーっと広がってくる気がしました。

英語のタイトルでは「What makes the sky blue」になり、ドストレートに考えると「何が空の蒼を作っているのか」になります。それはきっと「願い」なんだろうな。そして、サンダルフォンルシフェルはきっとここに同じ「願い」を持っているんだろうなぁと思うと、とても素晴らしい日になるよ!と口ずさみたくなるような素敵なタイトルとエンディングだなぁと思うのです。

 

“終末”は神への抗い

かねてより「終末」を描く話に漂う性悪説や、奇跡も希望もない、神を否定する絶望観が気になっていたのですが、今回000をプレイして「終末」は神を否定するためにあるという考えが腑に落ちました。

“世界の終わり”は神への挑戦…もっとわかりやすくいえば「果たし状」のようなものなのかもしれません。

荒木飛呂彦先生も王道ストーリーについてお話されるときに「トーナメント」という表現を用いていますが、王道ストーリーは段階的に戦う相手が大きくなっていきます。

ライバル、兄弟子、師匠、父親…大規模になればなるほど組織や軍や政府や国、世界となっていき、ラスボスはきっと「創造主」たる神になる。改めて000で言われないとピンと来ていませんでした。

個人的には「セカイ系」とはまた少し違うけれど「世界の終わり」を描こうとする作品にたいする考え方や物の見方が追加されました。とても興味深い発見でした。

 

天司たちの能力の還元

は~ちゃんま~ちゃんの言葉からしても、四大天司のみならず、すべての天司は「天司」という世界の「システム」という役割から離れ、ただの星晶獣になった…ということで良いのでしょうか?

もともとの理解力の問題もありますが、情報と感情の処理が追い付かなくていまいち理解できていないところがたくさんあります。

サンダルフォンも言っていましたが、どんなにファーを否定しようとも「星晶獣の礎を築いた科学者」なのは事実であり、天司たちによって成り立っている部分も少なからずあったはずなので、彼らがそれらの役割を離れ還元したというのは「ルシファーが作った法則との決別」も表しているのかなと思いました。

物語の結びとしても納得でき、個人的にさわやかさを感じる理由の一つかなと思います。

 

サンダルフォンが見た「光」

以前「プレガンド・コーラス」の感想記事でも書きましたが、改めて、星の獣にとって「役割」はとても大切なものなのだと感じました。

「役割がない」ために存在意義を見出せなかったサンダルフォンが、痛みとともに「天司長」という使命を与えられた前作。そして今作では「天司長」だけではない「サンダルフォン」としての人生を見つけたこと。何よりも生きたいと“願って”くれたことに、涙が出るほど感動しました。

サンダルフォンに生きることを肯定してほしいと願っていた騎空士様はたくさんいると思います。私もそれを願う一人でした。ルシフェルに向けるものとは違うけれど、親愛のこもった笑顔を向けて、手を取り合うことを許してくれる。

本当に幸せです。もう彼が悪夢にうなされることもきっとないのでしょう。

ただただひねていたひねだるふぉんでは、きっとこの未来にはたどり着けなくて、サンダルフォンが受け入れて成長して、痛みも傷も抱きしめて立ち上がってたどり着けた答えだと思います。

そんな答えを選び取れる子になったんだね…。うれしいです。ルシフェル様に「行ってきます」と言えるようになったこと。彼があふれんばかりの光を背負って微笑めること。贖うためのみに生きるのではなく、喜びを分かち合うために生きたいと思えたこと…幸せなものに目を向けられる子になれたことが、ほんとうに嬉しいです。

とってもいいイベントだったー!心から楽しかったです!

 

 

今回ルシオの正体も明かされましたが、「預言者」であるならば、やはり神の声を届けるルシオに神を疑ってほしくはないなーと思いました。

ここに関してはもうちょっと自分用の備忘録として書いてみたいと思っているので(いつになるのだろう…)、そこで考えてみたいと思います。

PVの【「神」とは何か】【なぜ「世界」を創ったのか】【「人間」の生きる意味とは】についても深めたいと思うだけは思っているので、ゆっくり時間が取れるときにでも、シナリオを読み返したいです。

今回の感想を書き出してみて、何一つ理解していないことがむきだしになっただけでした。もう一度Part1から読み返したら、いつかきっとわかるだろう……。今はこれで終わろうと思います。。

 

次回のイベント【星の獣のレゾナンス】もタイトル的にわくわくが止まりません。まだまだ星晶獣はわからないことだらけなので、少しずつでも知っていけると嬉しいです。