ありがとうアニメ「BANANAFISH」…最終回後の感想
アニメBANANAFISH素晴らしかった。
最終話を見終わったその勢いで今書いています。がんばっておちついて書くけど頑張っても落ち着かないかもしれません。
まず、素晴らしい最終回でした。原作に忠実に、丁寧につくられていて、アッシュの最期はとても美しく描かれていて嬉しかったです。
ちなみに漫画読破後すぐに書いた記事はこちらです。アッシュの最期についてなど、今読み返してもこの感想から大きく変わっていません。
大きく変わっていないということは、このまま勢いに任せると同じようなことを繰り返し言う可能性があるということです…。
アニメをふりかえって
シリーズ構成がよかった
最終回に限らず、全編通してずっと丁寧だったと思います。時代設定の変更によってキャラがスマホを所持していたり、ベトナム戦争がイラク戦争に変わったり、BANANAFISHは“あの時代”であることに大きな意味がある作品だと発表された当時、原作を読んだことがない私でさえ思っていましたが、それらも上手に作品に落とし込んでいたと思いました。
また、原作はもっとストーリーもドラマも盛り込まれていますが、それらを丁寧に24話に削って納め、きちんと見せるべきところを見せていたと感じます。
「アッシュと英二」を主軸にストーリーを構成していたため、アッシュとブランカ、シンとラオなどについては、原作を知らない人が見たら何かあるんだろうなという含みを感じさせる程度で終わっていたような気もしますが、逆にBANANAFISHで絶対に落としたらいけない「アッシュと英二」のささやかなやりとりや心のふれあいを残してくれていたので、しっかりと最終回がまとまっていたような気がします。
アニメ雑誌のインタビューで、「ショーター以降はかなりざくざく削っています」というのを見ていたので実は少し不安だったのですが、「アッシュと英二の関係性につながるような部分はささやかなやり取りでも残している」という言葉も同時にあったので、見終わった今、構成のありがたさをひしひしと感じています。
少なくとも私個人はアニメからBANANAFISHの原作に流れた人間なので、「きっとアニメでは語られていない部分があるんだろう」と予想できたのはプラスに働きました。
素敵な声優陣
アッシュ
アッシュ役の雄馬くんは、Pなのもあり個人的に特別な思い入れがある声優さんのひとりです。
今までにないような役柄で、さらに男女問わずファンの多い作品の主人公!期待と重圧と厳しい視線がありそうな中、アニメの中で鮮やかに烈しくアッシュ・リンクスが生きていました。
漫画から受ける印象よりも少し若い感じがして、自分の頭の中で思っていたIQ200の大胆不敵なアッシュ・リンクスの「少年」という要素を、要素としてしか把握してなかったのだと気づかされました。
自分で漫画を読んでいるだけでは雄馬くんが演じるようなアッシュには出会えなかったと思います。それがとても心地よくて、うれしかったです。
英二
英二役ののじけんさんは、もうのじけんさんしかいないでしょう!というほどTHEのじけんさんのキャラでもあるので、毎回毎回安心と信頼と幸せで満たされていました。のじけんさんのお芝居が大好きなのもあり、どんな英二も好きでした。
かわいいのに狙ったようなあざとさが声音になく、素直な好青年だからこそのかわいさのように感じられました。
最終話の手紙がどんな風になるかずっと楽しみでしたが、しっとりとじっくりと心にしみこんできて…。本当にのじけんさんの英二が優しくてかわいくて大好きでした。光の庭も映像で見たいですね…。
そのほかのみなさん
全員言い出すと本当にきりがなくなってしまうのでかいつまみますが、大好きなシンを演じてくれたちばしょーが本当にシンの声で最っっ高でした!
細谷さんのオーサーもさすがで、アッシュとの一騎打ちはどこか切なささえ感じたのが印象的でした。
ショーターのまこらどん。もっとショーターが大好きになったのは言うまでもありません。基本的に原作通りのものが好きな自分としては珍しく、原作を無視してでも長生きして欲しかったくらい。
ゴルツィネの運昇さん。放送中に亡くなってしまい、これから先運昇さんのゴルツィネはどうなってしまうんだろう…とずっと不安でしたが、最後まで運昇さんで本当にうれしくて、幸せでした。パパディノのじっとりと絡みつくようなアッシュへの執着や、どうしようもない愛情がセリフのはしばしから感じられました。
ブランカ役の帝王森川さん…月龍役の福山さんもおっしゃってましたが、「ブランカが森川さんって最高」です。最高でした。それしかないです…最高…。
月龍役の福山さんは、ご自身が原作の大ファンなこともあり、インタビューの作品考察や解説でもお世話になりました。なので、インタビューやお芝居から「月龍ってこんな感じなんだ!」と思うことが多かったです。福山さんのおかげで月龍についての理解がものすごく深まった気がします。ヒステリックでもあり切なくもあり狂気でもある、とても魅力的な月龍でした。セクシー。
福山さんに限らず、雄馬くんやのじけんさんのインタビューもとても読みごたえがあって、すごくおもしろかったです。このお二人の言葉で気づいた大切なシーンや二人の感情もたくさんありました。
とてもじっくりと作品に寄り添って、かみ砕いて、飲み干して、練り上げてお芝居をされているのかなと感じました。雑誌とかのインタビューを追う日々もすっごく楽しかったな…。
アニメ「BANANAFISH」最終回を見て改めて思ったこと
最終回って、最初は英二のセリフがなんだか頭と心に残る気がします。「君はぼくの最高の友達だ」をはじめとした、英二の愛情のすべてがこもったセリフたち。シンが「まるでラブレターだ」と言ったあの手紙の強くて大きな愛に読者も包み込まれます。
でもしばらくすると、ブランカとアッシュの会話がぷかぷかと浮かんできます。
実は漫画を読んだ時から、「英二の言葉に対してアッシュの言葉は少ない気がする」と感じていました。英二は手紙にありったけの愛をこめてアッシュに贈っていますが、アッシュは直接的に英二に言葉で愛や感謝を贈ったことって少ないんじゃないか?って。
でもひとつひとつの答えがブランカとの会話のなかにあって、あとからじわっとアッシュの愛も広がってくる気がします。本当にアッシュは英二と出会って幸福だったこと。地球上の何よりも愛していること。特別な親友だということ。英二に出会えたから見えたたくさんの景色。そして、アッシュのこれらの気持ちを言葉になんてしなくても英二はすべてわかっていること。
愛が人を生かす
アニメでも見終わった今、ただひたすらに思うのは、「英二と出会えてよかったね、アッシュ」という気持ちです。英二に出会わなければ、アッシュは誰かを愛したり、誰かに愛されたりすることもなかった。自分の中に愛というものの自覚がなければ愛されている事にも気づけないはずなので、きっとずーっと、愛情に気づくことがなかったと思います。
声優さんたちのインタビュー(たしか雄馬くんとのじけんさん)で、「『愛』と『生』の物語」と表現していた気がしますが、その通りだなーと改めて感じました。
「愛される」ことや「愛する」ということが、どれだけその人の心を癒し、孤独を癒し、幸福を与えてくれるものなのか。BANANAFISHは改めて「愛」の美しさについて考えさせてくれ、そして教えてくれる作品だと思います。
極端なことを言うと、本当に人は“愛があれば生きていける”んだなと思います。「愛は死なない」という言葉はよく聞きますが、「その人が死んでも愛は死なない」ということを作品をもってわかりやすく教えてくれていると思います。
アッシュを最期の瞬間まで生かし、幸福で満たしたのは間違いなく英二の「愛」で、英二がアッシュに愛をずっと注いでくれていたからアッシュの人生が大きく変化したんですよね。
素晴らしい作品には“イフ”は不要だと思いますが、仮に、もしもアッシュが英二に出会っていなかったら…そんなことを考えると、心が凍り付いたようにしゅんとなってしまいます。それは英二も同じで、アッシュに出会っていなかったら…。
この二人が見上げる空は、きっとどこまでも狭くて、切り取られたように四角くて、息が詰まるような閉塞感だろうなーって。大きくて広い空を見て、不自由さを感じる毎日を過ごしていたのだと思います。
アニメ最終話の「ライ麦畑でつかまえて」は、原作のある扉絵でアッシュが読んでいる小説でもありますが、アッシュから見た英二は“ライ麦畑のつかまえ役”なのかもしれないですね。
アッシュと英二は二人でひとつの人生を生きている
吉田先生ご本人が鎮魂と再生の物語と言っている「光の庭」を見るとより強く感じることですが、英二の心の真ん中にはアッシュが生きているし、アッシュは英二の胸の中に命を置いていったのだと思います。
ふたりはまったく違う人生を生きていて、まったく違う種類の閉塞感を抱いています。それでも、「英二の高跳び」のシーンでふたりは同じようにお互いを感じ合い、慰め合い、もっといったらあの瞬間で魂の触れ合いのようなものが起こったのだと思います。
アッシュからしたらあの壁の高さは「越えられないもの」で「不自由の象徴」でもあった。英二からしたら高跳びは「苦しみの象徴」でもあって「自分を縛り付けるもの」でもあった。
でもあの瞬間、空を舞う英二にアッシュは「自由」を見たし、それによって自由を感じたアッシュに英二は「満たされた」のだと思います。
ここについてはアニメイトタイムズの雄馬くん、のじけんさん、瓜生Pのインタビューがとてもわかりやすく素晴らしいので引用いたします。
瓜生:アッシュ的には第2話の高跳びのシーンで、跳んでる英二を見た瞬間が、アッシュの中で英二の存在が変わるタイミングの1つかなという印象がありました。
野島:弱そうに見えた人間が、窮地でバッと空を舞うのは印象的ですね。あんなに自由な存在だったんだって。
瓜生:病院で「お前はいいな、あんな風に跳べて。」というシーンが、「悲しいな」と思いながら見てました。
野島:あんな風に言われるまで、英二も「え、自分ってそんなに自由だったの」って気がつけなかったと、自分の存在価値に気がつくこともなかったんだろうなと思いました。
内田:あの状況で、あの塀を跳び越えちゃえるんですよね……。
野島:ニューヨークに来ている時点で、相当飛び越えてますけどね。物理的なものじゃなくて、心境的な意味で。
内田:そういえば(笑)。アッシュには、眩しく見えたんでしょうね。あの瞬間に、ただ単純なことなんですけど、その単純なことができないと思っているから、すごく眩しかっただろうなと思います。
野島:あのシーンは、すごく時間をたっぷり使ってましたよね。
瓜生:監督的にも、あそこが“アッシュの中で、英二の存在が変わる瞬間”というのは意識はされていたみたいで。あのシーンは大事にしていて、第1~2話のハイライトに近いシーンでしたね。
このシーンにアッシュと英二の関係が凝縮されているのではないか、とこのインタビューを読んで思いました。自由のために傷つきもがき生きているアッシュから見たこの瞬間の英二って、どれだけ眩しくて憧れるものだったんだろう。逆にあんな高さなんてなんでもなく、記録が出なくて、もっと高くもっと高くともがいていた英二から見たアッシュってどんな存在だったんだろう。
きっとこの瞬間に英二はアッシュの境遇の切なさをすべて感じ取ってしまったんですね。だから涙を流したし、そういう英二だからアッシュは心を許した。
話があっちこっち行って何が何だかわからなくなっていますが、このシーンで二人の魂は言葉なんかを超越してぎゅっと近づいたんだと思うんです。
先ほどの「愛が人を生かす」にもあったように、愛に触れ、英二と“人間”として付き合うようになって、アッシュの本当の意味での人生が始まり、そのアッシュの人生をすべて胸に受け止めて英二の人生が始まっていると思います。
「光の庭」は数年後の英二とシンの生活を描いた作品ですが、アッシュと出会ったから英二はこの生き方をしています。出逢わなかったら絶対にニューヨークで永住権なんてとっていないし、そういう人生を送っているはずです。
英二はきっとアッシュと一緒に生きていくんだなとアニメの最終回を見て、また強く思いました。
谷川俊太郎先生の「あなたはそこに」という詩が、感じたことをすべて美しく表現されているので、部分引用いたします。
ほんとうに出会った者に別れはこない
あなたはまだそこにいる
目をみはり私をみつめ 繰り返し私に語りかける
あなたとの思い出が私を生かす
早すぎたあなたの死すら私を生かす
初めてあなたを見た日からこんなに時が過ぎた今も
いい詩~~…!!
引用が増えてくるということは、もう自分の言葉で語るべきことがなにもない時だと思うので(笑)、こちらの記事はこのへんで畳もうと思います。
さいごに、ちょこちょこBANANAFISHについて騒いでいる記事を載せてみます。笑
アッシュと英二のイメソンについて話している記事。
…これくらいしかなかった!笑
いろいろ話しているのはあるんですが、どれもあえて載せるほどずっと話しているわけではないな…と思うと…笑
また、時間と機会があったらゆっくりと一人一人のキャラクターについて振り返ったりしてみたいと思います。
本当に素敵なアニメに出会えてうれしかった!アニメのBANANAFISHにかかわった、全ての方に感謝したいです。とても大切な作品になりました。
拙者、イメソン妄想大好き侍と申す
BANANAFISHのアニメが最終回と知り複雑な気持ちですこんばんは。
アニメが終わったらまた改めてアニメの感想をアップしたいと思っていますが、どんな気持ちで最終回を終えるのか、まったく想像ができません。
あのセリフに音声が…?あのシーンに音楽が…?考えるだけで頭がまっしろですが、どんなふうに終わらせるのか楽しみでもあります。ドキドキしつつわくわくもある…。
そして突然ですが、イメソン大好き侍なのです。好きなものがあるとすぐにイメソンを決めてしまいます。
一定の世代だと「BUMP OF CHICKEN」「ポルノグラフィティ」「鬼束ちひろ」「天野月子(天野月)」(敬称略)などが引っかかると思いますが、個人的にはこのアーティストに「平井堅」が加わります。
もうお分かりですね。
平井堅の「LIFE is…」ってものすごくアッシュと英二。
以前も書いたように、個人的にはここの二人はBLというよりも人間として愛し合っていてほしいし、慈しみあっていてもらいたいので恋愛感情というよりも一人の人間として一人の人間を深く愛おしんでいるようなイメージです。言っててこんがらがってきました。
そして1番が英二、2番がアッシュっぽいなーと思いながら聴いています。イメソンについてあれやこれや話すのは無粋ですし、自分の脳内妄想でしかないので語ることでもないのですが、少しだけ…。
1番のAメロのこちら。
少し乱れたその髪も可愛くて僕は好きだよ
泣ける。英二って絶対こういうこと言う。今更過ぎますが、この曲の歌詞は全体を通してとてもやさしくてあたたかくて、ほんとうに素敵な曲だと思います。
英二はほんとうのアッシュに手を伸ばして触れることのできる唯一の人間といってもいいと思いますが、どうしてそれができるのかというと、やっぱり英二は「どんなアッシュでもアッシュが好き」で、それをアッシュが「信じてもいい」と思えているというのがあると思います。
なぜ「信じてもいい」なのかというと、アッシュは自分のことが好きとか嫌いというよりも、忌んでいると思うのです。だから「信じたい」と思っても、自分のことを信じられないから自分を信じている英二を心の底から、100%で信じられないと思うんです。
英二のことは信じていても、「自分(人殺し)を信じる英二」を信じるのは難しいのかなと感じます。(アッシュが一番忌んでいる自分は「人殺し」だと思う。)
でも、英二が言うならアッシュも「信じてもいいかな」って思えるんじゃないかと思うんです…。
それを踏まえてのこちら。
でも君が笑うとその先を信じてみたくなる 手を伸ばしたくなる
グッときますね。
アッシュが自分で自分を見つめたときに、アッシュ・リンクスの中にあるきらきらしたものが英二という存在だと私個人は思っています。
明日だとか、未来だとか、それこそ希望だとか、そういうものを抱く余裕も、意味も、気持ちも、理由も持てなかった山猫の中に差し込んだ光なのだと思うと、本当に美しい関係だと思います。
一言で言うと、「LIFE is…」が解釈一致というだけの話でした!一致も何もそのための曲じゃない!
以上です。あらためて、素晴らしい曲で感動しました。
最近は本当に忙しかったり体調を崩したりでBANANAFISHも録画をまとめて見たり、Twitterの予告もチェックできなかったり…何よりもせっかく箱をフラゲまでしたというのに開封したのが12月に入ってからというほどてんてこまいな毎日を送っていました。
イベントに行きたくて買ったわけではないですが、もったいないことをしてしまったと心から後悔しています。ワケミニCDについてくるプロミの申込みは忘れずにやってほしい。(自分に向けて)
これを書いてたのは12月7日くらいなのですが、修正している今(19日)、見事にワケミニのプロミ申し込みを忘れていました。
そんなわけでまだANGEL EYESを聴いてさえいないのです…。パーフェクトガイドを読破したときもさけびたい!と思ってここに吐き出しに来ようと思ったんですが前述した通りで…。
最終話を見た後に、またじっくりと、まとめて書きたいと思っているので、そのときにエモーショナルなさけびをはきだしたいとおもいます。
グラブルフェス2018
行ってきました!
いやーとても楽しかったです。サイゲさんはお金のかけ方がすごいですね(褒めてる)。視覚的にも楽しめるというのは素晴らしいと思いました。
ここにカネをかけるなら~という意見も分からないわけではないですが、お客さんへの楽しみの提供を目に見える形で表現することも大切ですし、なによりも発展しているさまを見せることの大切さも感じました。やっぱり未来が見えるものに投資したくなると思うので、わくわくさせてくれるのはうれしいことです。
現地にいるとステージがそんなに見えなかったので、あとできちんと見直そうと思います。
私は四騎士VR、縁日でソーンとドランクのゲーム、ステラマグナのライブを楽しみました。
四騎士VR
四騎士VRは以前SNSでネタバレを見ていたのと同じ内容でしたが、やっぱり聞くと体験するのとは大きく違いますね…すごかった、目の前にいた…四騎士は実在した…。
初めてのVR体験だったので、パー様が入ってきたところからもう「!?」でした。VRってすごい。画面のドットが大きかったので、まだ非現実を感じられましたが、8Kとかになったら無理ですこれは…。現実に帰って来られなくなってしまう…。
以前SNSで、VR部屋はその騎士の香水の匂いがするというのを見たのですが、実際に香ったかはわからなかったです。したようなしなかったような…。緊張とにやにやでそれどころじゃなかったんだと思います。
念願の四騎士VRだったので、なめらかに動き、目を見て会話をし、そして手紙までくれるのは言葉に出来ない感動がありました。
お部屋ではメイドさんが丁寧に対応してくださいましたが、それにもやたらドギマギしてしまい、「これ夢小説だ…」と頭を抱えたり。
今年はステージに三騎士がそろったりキャラクターライブがあったりと四騎士要素が濃いめのフェスで、個人的には嬉しかったです。
グラブルは魅力的なキャラクターがたくさんいるので、四騎士以外の男性キャラにもたくさんスポットが当たるよう、彼らから切り開いていってもらいたいと思います。アオイドスさんのキャラソン楽しみに待ってます。
縁日
ソーンのは一言でいうと射的ですが、結構勢いがあって難しかったです。
でも楽しかったー!あまり十天のみんなをめがけて撃ちたくなかったので、そこだけちょっと残念でした。笑
結構待ち時間がありましたが、その分キャッキャできる楽しさでした。
ドランクのは待ち時間があまりなかったので、折角だし!ということで遊びました。
黒ひげ危機一髪の頭の部分(?)がドランクになっていたんですが、そのドランク人形がふにふにしててかわいかったです。販売してほしい。
ヒヒイロカネカレー
フードも1時間ちょっとくらい並んで、ヒヒイロカネカレーを食べました。
結構スパイシーでしっかりと辛く、食べ終わると水と甘いものが欲しくなりました。パセラコラボでもメニューにあったと思うので、辛いのが苦手な人はちょっと注意かもしれないです。
食べた後ケルフェンでヒッヒチャレンジをしてみましたが脱法はできませんでした。
ステラマグナライブ
熱かった!!!!!!!!!!!!
めちゃくちゃ楽しかったです!新世界秩序が来た時のウオオオオオ!!感たまらないし客席に振られても歌えない!笑
現地はかなりほっかほかで、どんどんステージ観覧のロープが後ろへ後ろへ下がっていっていた気がします。P5コラボもまさかやると思っていなかったので本当にうれしかったー!
お隣さんがトレピリガンガンだったので自分も楽しめました。
曲を聴くだけでテンションががんがんに上がっていくので、グラブルの音楽も本当に好きなんだなーと思いました。成田さんくらい強いきくうしさまになれるように頑張らないと…。
写真が全然ないのは、自分でもどうしてだかわからないんですが何故か大荷物になってしまったからです。ちゃんと撮るにはしっかり荷物をおろさなきゃいけなかったので、結果あまり撮ることができなかったので残念。
そして感想がすごくたんぱくになってしまいましたが、だって…VRで記憶なんてもう何もないです。正直ない。何ならVRの記憶もないです。何もない。感情だけが残っています。
とにかく楽しかったー!とても満足度の高いたのしいリアルイベントでした。リアルガチャもフィンブルもいい感じなので、この調子でシヴァが来ることを祈っています。
神さまと信仰について 2018
「青銅の法」についてなど、書きたいことや書かねばならないのではということはたくさんありますが、何よりもまず、エル・カンターレ祭おめでとうございました!
2018年は「信仰の法」の年で、なかなか激動の一年間でした。思い返すとさまざまありますが、こうして一年のしめくくりとして主の御法話を拝聴する機会をいただけるということは本当にありがたく、幸せだなぁと思います。
しばらくブログを書く時間があいてしまったので、あらためていろんなことを文字にすることに臆病になっています。笑
いろんなことを書いては消し書いては消しを繰り返しているのですが、素直に最近感じたことなどを記憶と記録として書きたいなと思いました。
エル祭御法話を聴いて感じたこと
今回のご演題は「奇跡を起こす力」でした。先生の御法話は知的なお話や神秘的なお話の中にも面白いお話を挟んでくださるので好きです。(小並感)
「これだけでも覚えて帰っていってください」というような後半のまとめは、ギュっと大切なことがつめこまれていて、いつも感動します。今回は大好きな書籍でもある「愛から祈りへ」というワードが入っていたのも印象深かったです。
私がなぜ信仰しているのか
以前から、なぜ信仰しているのかをブログに書こうと思って準備しているのですが、なかなかうまくまとめられず、下書きを繰り返しています。
今回の御法話を拝聴して感じたことは、やはり「尊い」ものは「美しい」し、「善」だ。と確信しているからだと思いました。シンプルに自分の思う信仰をまとめると、こういうことなのかなと感じます。
私は信仰を世界で一番美しいものだと思っています。
神にあこがれて、あこがれて、神に捧げるためにつくられた芸術はどれもため息が出るほど感動するし、魂がこもっているというか、うまく言えませんが作品そのものに立体的な輝きを感じますし、神秘的な息吹を感じます。信仰というものは激しいものであるがゆえに対立も起こりますが、神を愛しているということはやはり美しいことだと思うのです。
性善説の「神」と性悪説の「神」
最近ずっと悶々していたことがありました。ひとつ悶々したことがあると他のことにリソースをさけないためにブログも書けなかったんですが、今朝になって急に「そういうことなんだ」と気づけたことがあります。
ファンタジーにしろラノベにしろ、意外と「神(創造主)」が出てくる作品が日本にはたくさんあると思います。それは日本に「八百万の神」がいるからなのか、それとも「無神論が強い国だから」なのか「宗教に無関心な国」だからなのかは分かりませんが、「神を書くことを恐れない」というのはあると思います。
話を戻すと、とある影響力の強いクリエイターさんが描く「神」について引っかかっていました。
私はその方が長く好きで、その方の書く残酷だけれど人の優しさと愛が見える作風が特に気に入っていました。ただ、どうしても「神」に関して引っかかってしまうんです。テキストだけ読むと「そんなことないな…?」と感じる部分もあるし、いろんな方に意見を聞いてみても「そうだよね?」と自分でも納得するんですが、ずっと違和感がありました。
そして、やっと気づいたことは「世界観が性悪説だった」んです。
神が「人間を生み出した」「世界を生み出した」「法則を生み出した」というのはだいたい共通事項だと思います。
そして性悪説から神を組み立てると、神は人間に対して呆れているだろうし、怒りを覚えているだろうし、愚かだと思っているだろうし、滅んで当然だと感じるだろうと納得ができたんです。生み出した意味も価値もなにも感じられないのだから当たり前です。
逆に性善説から神を組み立てると、神は失敗も許すだろうし、どんな人も愛しているだろうし、反省と一定の裁きは与えたとしても報われるものがあるだろうと思えます。
どんなに愛や夢や希望、幸福や慈しみを描いていても世界観が性悪説だと読者もラスボスも「どうせ繰り返す」と思ってしまう。それに対して主人公が「繰り返しても構わない!」と返した場合、希望の度合いがかなり違ってくる気がするんです。
えげつない苦悩や困難や絶望を描いている話はスケールが大きくなるし、いろんな哲学も見える気がするし、考察のしがいもあったりするので深く見えることもありますが、これらの話って結局「破滅に向かう」しかゴールがないような気がします。
破滅を回避するためになんとかする。でも神は残酷で人間は愚かだ。となると無限ループになってしまって救いがどこにもなくなってしまうし、円環が続く限り希望もすり減っていってしまい、最終的には絶対に絶望に到達してしまう。
そのエンドを避ける場合人類補完計画みたいなことをするしかなくなってしまう気がします。最近形を変えた補完計画みたいなお話をよく見る気がするのも、そういうことなのかなと感じてしまいました。
そう考えると、異世界転生も「破滅」を回避するルートの一つなのかもしれませんね。転生世界のイレギュラーとなることによって、その世界の神にとって主人公は「創造物」から外れるのも面白さの一つなのかも。
…という、正直オチも何もない話です。しかし自分の中のもやもやにやっと「なるほど!」と思える答えが見つかったので、記録として残しておきます…。…エル祭に関係あったのだろうか。
「祈り」について
「祈り」というと、確かマザーテレサの霊言だったと思いますが、「祈りは神にかける電話」というようなことを仰っていました。(違ったら本当にごめんなさい)この時に、「祈り」という行為の尊さや美しさを改めて感じました。
書籍「愛から祈りへ」は主に祈りの言葉としての詩編を収録した書籍ですが、各章ごとに「愛」とは何かということをさまざまな角度から解説されています。とても面白いです。
第5章は「愛から祈りへ」という章題がつけられており、ここで「愛から祈りへ」といいう意味についても説かれています。かんたんに言うと、「愛という実践の行為をおこない、自らがやれるだけのことをやり、果たせるだけの使命を果たしてなお祈ることがあるならば祈ってみてください。」と語られています。そして、けっして自分本位に、自分が愛を得たいがための祈りであってはならないということが説かれています。
エル祭後、ここを読み返して、あらためてそういう気持ちを忘れない透明な心を大切にしていきたいと思いました。
という感じでした!
ずっと引っかかっていたもやもやがやっと晴れたので本当にすっきりしました。
そういった作品を面白いと感じる気持ちももちろんわかりますし、愛夢希望!で構成されている物語が気楽に見えてしまう気持ちもわかります。今回やっともやもやする原因が分かったので、対策も立てられるようになりました。
あまり引っ張られすぎず、バランス感覚よく、楽しみたいと思います。